香港労働法 Hong Kong Labor Issues #58 日本人のための香港労働問題研究:雇用条例 (Employment Ordinance) VA:日本語版
Updated: Dec 16, 2021

最新の香港の労働情勢
総人口:739.47万人
人口増減:-1.2% (2021年6月)
総労働人口:383.82万人 (2021年8月-10月; 他のいかなる資本主義社会同様、総人口の過半数、絶対多数は、労働者階級である。失業率低下、景気回復を政府広報及び民放は一致して喧伝するが、データ上は、実際は香港圏内の労働総人口自体が更に減少している点は場渡的な目先のPRの建前とは真逆に、経済的にはマイナスの現象である。なぜなら、社会的生産と消費の担い手が減少していく傾向は終局的には衰退及び社会的な高負担の皺寄せのみを意味するからだ)
失業率:4.3% (-0.2%) 移民ブームによる大幅人口減と平行して同時進行していることからも、主として移民による労働者の総人口自体の減少による失業率低下の現象である。これを「改善」 というのは資本及び無責任な官僚の側である。
就業不足率 / 不完全雇用率:1.9% (2021年8月-10月; それが補完する所の失業率と同様の理由による-0.2%。いわゆる「改善」の体裁作りと労働総人口の顕著な減少という齟齬は、統計上のマジックがここでも存在するのを示すが、労働総人口の動向が決定的に事態を説明している点は見逃せない)
物価上昇率:+1.7% (2021年10月; インフレ率上昇)
実質賃金指数:-0.3% (1992年9月の実質賃金水準を100とした場合、香港の労働者階級の実質賃金水準は1992年9月よりも0.3%減少、これこそがその資本主義社会における労働者階級の真の景気指標である。つまり現在も「繁栄安定した」 経済は実質的には不況であり、際限のない放任状態の物価上昇傾向とは対照的に、30年近くも実質賃金水準の上昇が系統的にゼロ水準に抑えつけられているのには驚愕する)
貧困率・全人口、社会全体における貧困状態:23.6 % (史上最悪の貧困率であり、窮乏化が深刻化の一途を辿っている。この百分率は、全人口に占める割合であり、言い換えると四人に一人、つまり全人口の4分の1が貧困ライン以下に貶められている有様である。貧困率も実際の社会の経済・景気状態及び経世済民という政治の本質、政策の有無良し悪しを体現する確実な指標の一つである。政治、経済、及び民生は三位一体であり、右翼的に政経分離などというのは社会の現実を無視した詭弁、自己欺瞞、ダブルスタンダードである。政治とは経済(経世済民)であり、その結果・所産が民生の有様である。この三つは不可分である。)
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統計数値が可能性値か現実値かの慎重な識別の必要性:欺瞞的な詐術に長けた香港の官僚が提示する数値は、市民は自動的にご親切にも現実性の数値として解釈するが、悪魔は細部に潜んでおり、往々にして可能性や目標値であり、また累計する対象期間が相互に重複して新規と既存既知のデータが巧みに混在していたり、現実性である数値を選択的にカテゴリー別に提示するので、全体が掴みにくい。例えば、香港社会の真の世論工作が展開される不動産の問題で典型的なのが、現存の社会的な総量データを無視して、市民は官僚が政策説明で全て現実値で語っているとご丁寧に勝手に解釈してくれるが、実は目標値と推測値という可能性の両者を対比して政策を説明したりする荒唐無稽さ(まさに机上の空論)である。また香港の統計は、累積なので、マイナスも前回はマイナス0.2で、今回はマイナス0.3として個別に相互に孤立的に統計上具体的な差異を捨象して見るだけでなく、それらの累積になっているのが実際の物質的な効果・影響だとして、社会的な蓄積としてみることも必要である。
思想的な混乱から抜け出す指針となる糸は、支配階級が労働者階級に注入するところの政治的な、二元論的な不毛で盲目な分裂と対立のポリコレ、キャンセル・カルチャー追随(香港ではこれを政治化とか政治病毒と呼称)ではなく、あくまで自身の属する階級利益という唯一の客観的、社会的指標・原則に基づいた具体的な状況・問題の具体的な分析である。これが個人の独立思考の実質である。もちろん、資本の側(考える側?他人を使う側、他人の労働の結果を収奪・搾取する側)は剰余価値の搾取の過程で労働者の側の独立思考は一切圧殺するのが、誰もが知る企業の現場というものである。
この点遺憾ながら、日本の政治評論家の類は、彼ら自身の売文ビジネス目的も影響しているが、兎角特定の議員や政党や教員の動向、対立や論争に関してあたかも競馬や野球やプロレス観戦や芸能界に対する様にやたら必要以上に詳しいが、それは彼らの「世界」と社会的な関心視野が極度に偏狭なのを暴露しているだけでなく、往々にして本来最も肝心なはずの具体的な状況・社会問題の具体的な分析に甚だしく欠如しており、結局は特定の議員や政党の太鼓持ちでしかなく、更にはそういう役割として生かされているだけであるのを露呈する。次手に言及すれば、今年の衆院議員総選挙での野党共闘の敗退は、何も不可思議ではなく、選挙の時だけ政策カタログを掲げて、候補者を一本化しても、PRだけであり、何も野党側は日本の社会の具体的な問題に関してそれ自体体制の一部である野党として何もしてこなかったから、日本共産党が利用し、元々から連合と緊密な「市民連合」などの個別の組織団体の階級的性質や内外のネットワークがいかなるものかは別にしても、主権者が「正しい」政策カタログや「正しい」数合わせだけ(これらは全体ではなく、戦術・技術面に過ぎない)では、信頼して支持をするだけの基本的な社会関係が、候補者や政党と最も広範な有権者との間で構築されていないのを物語っている(過去の民主党政権の度重なる重大な公約違反も、野党の側に回復不能のダメージをもたらした)。勝つのが目的なら、主権者の為にもう同じ失敗したやり方を再現なく繰り返すべきではない。呆れる事には、「一本化」で野党共闘の統一候補という姿をとった敵を当選させているのが現実である。本当に当選させるべき候補者や政党なのかの精査や再検討も必須である。ここでも、野党の側だけで見ても、看板や立ち位置や商標はともかく、自公と同質的なほんの一握りのエリート主義の既得権集団が社会的な主導権、民放や独立系のメディアのチャンネルを自身の為に独