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Hong Kong Intelligence Report #25 対米従属 對美從屬 对美从属 Obedience To US Imperialism

Updated: Aug 1, 2021

File Photo: The New Cabinet was approved on October 9, 1945. The plan was implemented by Foreign Minister Yoshida. Foreign Minister Yoshida confirmed the intention of General MacArthur in each case and conducted a selection. Unfortunately, the Japanese government has finally become a puppet government since then.  —  Mamoru Shigemitsu, " Mamoru Shigemitsu Diary Cont."  Composite © Ryota Nakanishi
File Photo: Mamoru Shigemitsu, " Mamoru Shigemitsu Diary Cont." Composite © Ryota Nakanishi

What could we do?


“How many September 11ths has the United States caused in other nations since WWII?” The answer is: possibly 10,000. - James A. Lucas


Listen to Mr. William Blum (1933-2018)'s suggestion to the people of the world.


People asked Mr. William Blum: What could we do?  

Mr. William Blum: Educate yourself and as many others as you can about what this (US) government has actually done at home and abroad. 

This is what I have been doing since 2013 until present internationally.

 

Academy Award Winner The Panama Deception (Dir. Barbara Trent; 1992) was and still is the best documentary on this issue.


Full Movie



 

General Remark


This analysis on the global political phenomena 'obedience to US imperialism' was done from the specific political perspective and context of Japan in the past. The recent political tendency of Japanese inner politics is that US and its puppet regime are gradually establishing two party system like US itself in which both ruling party and opposition party are both US agents and representatives of billionaires who are highly hostile to Russia and China. Japanese opposition must abolish anti-China, anti-Russia political lines which are only harmonious with US imperialism diplomatically.


Even Japanese Communist Party is now transforming into 'pro US Democrat' camp internationally and highly hostile to Venezuela's Maduro regime, Putin Russia and Chinese Communist Party. In general, Japan's political situation is no better than any others. US imperialism is still dominant in both right and left wings in Japan. Thus, 'being independent from US imperialism' is the historical goal of the people. Both All Japan for Peace and Coexistence and Reiwa Shinsengumi are leading the opposition strategically and tactically in an anti US imperialist way. Enemies' conspiracy of hijacking the opposition movement was failed in 2016 by us but it's still in danger.


Furthermore, Okinawa's anti base movement is affected by interests of local developers. As the result, it lacks thoroughness and cohesiveness that they don't demand complete withdrawal of USFJ. At the same time, they allow US bases without Marine Corps Air Station Futenma and Henoko bases. They only aimed at reducing the burdens in this contradicted way while it won't serve the cause.


This article (2013) below was written in Japanese due to its political targets during Japanese ops. in the past decade. It can show you what US imperialism is in world history. It is our issue not others'.


In some secret document, NSA did not mention Hong Kong as a threat to its global agenda including anti-China ops.. In the past, I wrongly complemented Hong Kong as the best society to be able to prevent US imperialist colour revolutions effectively but the place has been the worst example for the world since 2019.


Historical Events for the real opposition in Japan

Democratic reformist Hatoyama regime begins in 2009;

Publication of Ukeru Magosaki's revolutionary historical book, The Truth of the Post-War Japan-US Alliance (ISBN-13: 978-4422300511);


Birth of Abe's reactionary regime at the end of 2012;


The establishment of the All Okinawa United Front;


Takeshi Onaga elected as Okinawa Governor in 2014;

All-Japan for Peace and Co-existence United Front established in 2015;

The death of Okinawa Governor Takeshi Onaga ; Danny Tamaki succeeded Okinawa Governor Takeshi Onaga in 2018;


Reiwa Shinsengumi organised in 2019.


To be continued...


Although western mainstream media are still blaming Stalin and Mao for deaths of millions, US itself actually killed 20-30 millions around the world since WW2. The greatest mass murderer is US government. James A. Lucas wrote:


''The overall conclusion reached is that the United States most likely has been responsible since WWII for the deaths of between 20 and 30 million people in wars and conflicts scattered over the world.''


READ MORE:

U.S. Regime Has Killed 20-30 Million People Since World War II

 

總論


不管是什麼立場,大中華地區的媒體都根本不理解錯綜複雜的日本國內政治。不過,日本,台灣,南韓都作為美帝的反中封鎖線,不精確理解日本國內政治是只會不利於中國本身,只對日本統治階級的部分進行統戰是遠遠不夠的,甚至‘被統戰’淪為了牟取私利的本港機會主義份子的現實主義手段(如地產霸權利用政協身分反中反共)。我們不管中國情報單位的失敗與否,也一律不需要管任何排外主義,官僚主義的中國媒體的錯誤。中國的政治和媒體的最大弱點是其愛國主義,愛國主義讓他們盲目,主觀和排外,而喪失了很多豐富的多元化的合作和發展空間。不過,美國在政治和媒體作戰方面也非常多元化,譬如在非洲的美國作戰上卻找了法國代理人來從事,然而中國始終死板地只用中國人,其視野和作風極為有限和狹窄。這點與俄國正好相反。雖毛澤東為中國打贏了美國好多次,但如今中國戰勝美國仍然是遙遠的未來的事。


在此議題上,中文讀者不熟悉的是,在日本,有關美帝的問題是以對美從屬的概念來討論的。是因為以舊民主黨系列的政黨(立憲民主黨;國民民主黨;希望之黨)所體現的親美民主黨的工會聯合組織連合的中產階級,社民黨以及共產黨的議會政黨都避開群眾路線,左右不同階級利益上反對美帝時,極力避免了左派路線及其詞彙。甚至,對美從屬這一概念也淪為了貪官污吏自覺的私人戰略或極右派隱瞞日本帝國主義的存在和粉飾改壞憲政體制及群眾既得社會成就時的敘事。對美從屬不僅是日本爭取對美獨立的批判性指導理念,讀取日本國內外政策的指針,也是統一不同反對黨派,階級利益之間展開反對美國帝國主義與日本帝國主義的政治概念。


就日本外交政策而言,基本上在野黨都是對美從屬的,主張對美獨立的卻仍然支持反中反俄的美帝外交政策,同時將視野限制在純粹國內展開對美從屬批判的怪象,矛盾是日本的反對派勢力的自我國際孤立現象,批判觀點往往唯限在日本國內。他們只談國內媒體,並以特定大學教室內的,特定教授之間的論爭取代整個群眾運動,其極端狹窄的視野都體現了國內水平仍然大不如國際水平。看來他們自己的個人,黨派利益凌駕於任何理念,政策。


日本的執政黨與在野黨中,有些主要政黨採取死亡部隊的戰術。自民黨與公民黨的暗殺部隊,官僚機構方面對此輔助的是公安,俗稱檢察機構法西斯主義的東京地方檢察特搜部與警方合作陷害反體制派,甚至日本共產黨也利用如同香港黑色暴徒一樣的暴力私了組織C.R.A.C.。


美帝在東亞意圖建立對美從屬的二黨制,執政黨和在野黨都是盲從美帝的。日本和台灣都是其典型。在香港,英美拉攏建制派議員來建立雙方都從屬於英美的議會主導勢力。對中國而言,一昧的反日政策和偏見毫無助於改善日本國內的左右反中的美帝佈局。


上述事實由以下事件證明,


2019年11月15日,日本共產黨跟隨日本國內舊民主黨勢力和美國民主黨批判了中共並維護了黑色暴徒。反對美帝的卻支持了美帝顏色革命,並對黑色暴力視而不見。


日本共產黨15日以“立即停止在香港的打壓”為題發出聲明指出,香港警察對於反政府的行動加強打壓的力道。11日警察近距離對示威者實彈開槍,有一人腹部中彈重傷。對手無寸鐵的示威者開槍是斷難容許的野蠻暴行。港警還衝入大學造成多人受傷、被捕。

聲明說,香港當局加強鎮壓民眾是獲得中國最高領導階層的批准與指導才做的。中國官方媒體告訴香港警察“什麼都不用怕”,公然煽動以武力威嚇。

聲明表示,顯然在香港進行打壓的根本責任在中國政府與中國共產黨,強烈要求立即停止打壓香港人。


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日本在野黨對國內爭取對美獨立,但對國外仍然秉持反中反俄的對美從屬的政策。這種嚴重自相矛盾的政治病態只會有利於美帝。徹頭徹尾一貫堅持對美獨立政策才是日本在野黨可望改革日本的必要條件。從2009年的民主黨改革派鳩山政權開始,2012年末安倍反動政權的誕生,孫崎亭的革命性的歷史書《戰後的日美同盟真相》(ISBN-13: 978-4422300511) 的出版,2014年全沖繩統一戰線建立,翁長雄志沖繩縣縣長的產生,一直到2015年全日本統一戰線:為和平和共生的草根運動網的建立,2018年翁長雄志沖繩縣縣長逝世;玉城丹尼沖繩縣縣長的產生,最後2019年令和新選組誕生為止,正確的政策,政黨,研究,運動路線的確存在。最重要的不是有無主流媒體的報導,而是所提議的政策的準確性。日本目前的在野黨統一戰線的藍圖原本是學習國共統一戰線的。中國的影響如此深遠。


順便一提沖繩的反基地運動,這也不是單純的,實際上他們的主張是自相矛盾的,除了普天間基地和邊野古基地等著名新聞話題以外的新舊美軍基地則是被允許的。這主要是因為當地地產商的基地利權有關。減少基地負擔是口號,但其曖昧的雙重標準最終導致其他居民被基地利權所犧牲,如此基地負擔和沖繩歧視不會消失。正常的反基地主張應該是徹底去除所有的美軍基地,即美軍的全面撤退。


此篇日文小論文位於全沖繩和全日本統一戰線的準備期,並且概括了當時所有有關議題的豐富理論成就和精華。


 

序説


米帝に浸透された左派:いずれにせよ孤立した一国対米独立は不可能;国際主義、国際的視野の必要性


CIAが資金援助した旧社会党だけでなく、共産党及びその周辺組織であるしばき隊もアメリカ民主党の外交政策と親和的で、明らかにCIAに代表される世界の寡頭に奉仕する勢力の浸透が深刻で、レーニン、ソビエトの全否定、及びアメリカ帝国主義批判の観点の埋没はそれを表現している。つまり、左翼左派も対米従属の範疇に入っている。


これは、今ラテンアメリカだけでなく、中国、香港でも深刻な米帝に奉仕する似非左派及びそのカラー革命における暴力と左派運動の乗っ取り、弾圧にもよく現れている。これは、2016年4月ちょうどNEDのマニラ会議から自覚にもたらされている国際現象である。


稀有な独立独歩の批判家である優秀な田中宏和氏がよくこの点を概括している。


今から16年前の2004年、関岡英之の『拒否できない日本』という新書が出版されてブームになった。2006年の『奪われる日本』も話題となった。米国の日本に対する「年次改革要求書」について暴露し、保守反米の立場から批判した本であり、当時、大きな反響を呼んで脚光を浴びた。2008年に小沢一郎率いる民主党が参院選で圧勝し、翌2009年の衆院選で政権交代を実現するが、その積極的な原動力となった一つが、関岡英之の著書だったのではないかと私は考える。これによって、保守世論でも竹中改革の売国政策に対する反発が広がった。書名を聞けば、誰もが何らかの感慨を持つはずだ。米国による徹底した日本改造。1997年の持株会社解禁は「年次改革要望書」によるものだった。1998年の大店法制定も「年次改革要望書」によるものだった。1999年の労働者派遣法改正による人材派遣業の自由化もそうだった。2002年の健康保険制度における3割負担導入もそうなのだ。2003年の郵政民営化もそうだ。


そして、2004年の製造業への派遣解禁。2005年の道路公団民営化。これらはすべて米国からの年次改革要望書の政策を国内で法制化したもので、その後の2010年のTPP協定交渉、2012年の第3次アーミテージレポートと続き、現在は日米FTA交渉で属国化の総仕上げの段階に入っている。年次改革要望書は、1993年の宮沢・クリントン会談が最初と言われているが、そこからとめどない従属化と植民地化の過程が始まり、怒濤の勢いとなって推進され、歯止めがかからないまま現在も続いている。関岡英之の頃は、それに対する反発や反感の意識が国内にあった。私はその点を指摘したいのだ。今では、属米化することが日本人の幸福のように言われ、左翼までが競って米国従属の動きを先導している。2012年からのしばき隊の活動がそうであり、ANTIFAのコピーやヘイトスピーチ法の移植がそうだ。LGBTを始めとする多様性主義のムーブメントもそうだろう。環境問題も、本来、日本発の提起だったのに、今では欧州の粗製偶像を崇める疎外と倒錯の劇となった。

日本の左翼からアメリカ帝国主義の概念が消え、自分たちがアメリカ帝国主義に支配されているとか、収奪と洗脳が強められているという意識が欠落してしまった。日本共産党の綱領には、今でも反アメリカ帝国主義の規定があり、二段階革命論の路線が保持されているのだけれど、その規定と認識が徐々に後退し、アメリカ帝国主義と対決する姿勢が弱くなっている。私見では、この問題はレーニン評価と直結していて、レーニン否定の空気がこの20年ほど左翼全般を覆うようになったため、帝国主義論の概念や理論の説得力が薄れ、こうした思想的結果を招いたのだと察しをつけている。レーニンが全面否定され、帝国主義論もゴミ箱行きの処理がされたため、アメリカ帝国主義に対する批判的視座が崩れてしまい、米国の対外政策を無条件に肯定する帰結に至ったのだろう。関岡英之の持論だった反米憂国の視角は、日本の左翼からは微塵もなくなってしまっている。その変化と傾向と並行して、左翼の中で反中国・反ロシアの気分が旺盛になり、しばき隊が反中反ロの言説を宣伝する前衛になって敵愾心を煽っている。

恰も、しばき隊がCIAの手先となり、左におけるプロパガンダ機関となったかの如き奇怪な印象だ。基本的には、彼らの無知と流行追っかけの浮薄な態度が誤謬を媒介していると言える。


READ MORE:

左翼から消えた「アメリカ帝国主義」の語 - 関岡英之の『拒否できない日本』


 

@ハフポスト


Lectures on the Political Philosophy of History

対米従属


研究対象期間:1893年から2013年当時


定義:


対米従属(たいべいじゅうぞく、英語: Slavish Obedience to the U.S.; Docile Subservience to the United States)または従米・媚米・属米・隷米・対米隷属・対米隷従・対米追随・対米追従・対米盲従とは、国家・政府・議会・国民が、自立や自己決定の意思を持たず、自分の認識や意見を持たず、 自分の認識や意見に基づく判断や言動をもせず、アメリカ合衆国議会・政府・諜報機関・軍産複合体・企業・駐留軍・国民に対して隷属・服従し、 内政も外交も、その他あらゆる物事も、アメリカ合衆国の言いなりになって発言・行動することである。


そして対米従属に相対するのが、脱米・対米自立・対米自主独立・対米独立・対米自主・対米脱却・対米自主自立などといわれる民族独立を希求する政治的立場 (英語: Pro-Independence) である。


この対立は、人種や文化の次元でのいわゆる親米と反米の二元論とは峻別される。また、対米自立は米国による主権侵害の打破を目標とし、対米従属と共に第一次世界大戦以前の19世紀後半から21世紀現在までの世界史に広範に確認されており、右翼・左翼の別なく両派にもみられる。


そして日本一国やその戦後史に限定されないばかりか、国内外の国政や地方行政双方の領域にも広範に認められ、さらには対米従属と対米自立の闘争はアジア、ラテンアメリカ以外に、アフリカや、中東や、オセアニアや、ヨーロッパ地域など全世界的規模で存在する。


対米自立はあくまで当該国の主権侵害国が米国であるから対米なのであり、対中従属、対韓従属など米国以外の特定国への従属を自動的に意味しない。日本が軍事的に独立できないと言うのは、売国的な詭弁である。[1] [2]

File Photo: Japanese Foreign Minister Mamoru Shigemitsu signs the Instrument of Surrender on behalf of the Japanese Government, on board USS Missouri (BB-63), 2 September 1945.  Image: Wikimedia=Wikipedia
File Photo: Japanese Foreign Minister Mamoru Shigemitsu signs the Instrument of Surrender. Image: Wikimedia=Wikipedia

他国に従属する原因:


個人や組織や政府が他者や他国(米国)に対して従属・盲従・追従する原因は数種類ある。

軍事力・経済力等の国力の関係上やむをえないから。 ある個人や組織や政府が、他者や他組織や他国に対して、宗教的・思想的な信仰による全面的な賞賛・崇拝をして、自分で認識や考察することを放棄して、全面的な賞賛や崇拝の対象である他者や他組織や他国に対して、私的利害から自発的に従属・盲従・追従する場合


民主主義においては大衆の意見や少数意見を尊重する建前から合意形成がなかなか進められないことがあるが、他国に対し内政干渉を要望し、 外圧に頼ることで国内の反対勢力(多数であれ少数であれ)を押し切りやすくなる


他国の政府や軍産複合体が覇権主義的・帝国主義・新植民地主義的な外交戦略政策に利用するために、被支配国となる植民地、属国、衛星国や保護国の国民の多数意見とは無関係に、自国が背後から操るに都合のいい傀儡政権を樹立し、被植民地側の各社会領域の特権的な現地協力 者に利権を与え権力に就かせ、間接支配する場合。


特に冷戦期には、米国はこの属国化の仕組みを反共や民主化や経済自由化 (9.11以降は反共 より反テロやグローバリゼーション) などのレトリックで覆い隠した。その政権転覆された相手国の多くは開発主義政権だったが、CIAや英国諜報機関により冷戦のレトリックによって共産政権扱いされているケースが見られる[3]


そして、またもし選挙で選出された当該国為政者が 米国の企業利益を脅かせば、CIAの海外政権転覆作戦の第二弾である1954年のグアテマラのケースのように、CIAに命じて当該国の政権を転覆させるのである[4]。当時グアテマラはソ連の支援を受けていなかったが、米国は反共名目で民族主義であるハコボ・アルベンス・グスマン政権を転覆したが、本当の理由はラテンアメリカ諸国での脱植民地化の現地の労農本位の民主政策の拡大阻止と、当該国政権が農地改革を行い米国の覇権的な多国籍企業ユナイテッド・フルーツ社の占有した土地を接収した為、同社が直接CIAに要請したからである[5]。そして同国では以後36年間の従米軍事政権下の内戦で約20万人が死亡した。


1941年以降、米国議会自体は宣戦布告をせず、この手の米国憲法上の戦争権限の曖昧なままのCIA実施の秘密作戦を、警察行動(死傷者400万人以上、 南北離散家族1千万人の朝鮮戦争)や顧問(ベトナム戦争)、秘密作戦(中米)、平和維持(レバノン)、低強度紛争(CIAが民主的選挙を妨害し内戦が止まなかったアンゴラからカンボジア)などのレトリックで行って来た。これには、元CIAアンゴラ機動部隊長ジョン・ストックウェル(en:John Stockwell)の証言がある。


チャーチ上院議員によれば、CIAは調査(1975年)以前の14年間に900の大規模な作戦と3000の小規模な作戦を遂行していた。ここから推計すると、CIAができてからの暗黒の40年間に、3000の大規模な作戦と10,000の小規模作戦が遂行されたことになる。全て違法なものだ。すべてが他国の社会や人々に破壊をもたらしたものであり、その多くが、想像を絶する血なまぐさい活動である。我々は、 様々な方法で工作し、十分に機能していた他国の立憲民主主義を転覆させた。世界中で秘密の軍隊を組織し、戦闘に向かわせてき た。少数民族に立ち上がって戦うよう仕向けた。ニカラグアのミスキート・インディアン、中東のクルド人、東南アジアのモン族などの人々。そしてもちろん、我々は世界中で暗殺団(death squad)を組織し、いまだに資金援助を行っている[6]。 — ジョン・ストックウェル


米軍関係者の側からもこのような他国の属国化の実態について、侵攻前の米軍基地内で既に傀儡政権を樹立させていたパナマ侵攻に関するユージン・キャロル海軍少将の証言がある。


ブッシュ大統領はパナマに民主主義を復活させるといった。もともとなかったものを一体どう復活させるのかね?1903年に米国の都合でパナマを作って以来、パナマが民主的だったことはない。我々は米国によるパナマ支配を復活させただけだ。[7]


— ユージン・キャロル海軍少将


アメリカの元CIA顧問で国際政治学者のチャルマーズ・ジョンソンは、2004年の論文集『帝国アメリカと日本:武力依存の構図』で戦後世界の対米従属現象の背景を国際比較し、冷戦という表面下で進行した帝国主義政策について以下のように分析している。


スターリンは第二次世界大戦後、武力によって東欧の国々を衛星国とし、ソ連帝国を打ち立てた。アメリカもちょうど同じように、 東アジアに軍事基地を広げ、帝国を作り上げた。どちらの帝国もそれ以外の形では存在しなかっただろう。[2]


— チャルマーズ・ジョンソン『帝国アメリカと日本 武力依存の構図』


日本の事例に関して言えば、1951年1月26日、当時米国国務省政策顧問のジョン・フォスター・ダレスとCIA長官アレン・ダレスはこの戦後帝国主義 政策の推進者であり、在日米占領軍に戦後引き続き日本全土の潜在主権を譲与確保する全土基地方式の適用に関して、安保条約と講和条約の協議過程で以下の如く其の真意を明言している。


File Photo: John Foster Dulles Image: Wikimedia=Wikipedia
File Photo: John Foster Dulles Image: Wikimedia=Wikipedia
我々が望む数の兵力を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する、それが米国の目標である(get the right to station as many troops in Japan as we want where we want and for as long as we want)。アメリカにそのような特権を与えるような政府は、日本の主権を傷つけるのを許したと必ず攻撃されるだろう。我々の提案を納得させるのは難しい。 — ジョン・フォスター・ダレス [8]

アメリカ側はこうして1951年2月中旬までにこの提案(日本の全土基地化と日本に於ける米軍の基地使用の自由化)を日本側に文字通り認めさせ、国会の承認なしに吉田茂の独断で秘密合意として日米行政協定(現日米地位協定)という形で実現した。[9]


在日米軍問題の専門家で沖縄国際大学教授の前泊博盛は、日米行政協定(現日米地位協定)の締結をもって戦後日本の対米従属路線が確定したとし、同協定を以下の如く定義している。


アメリカが占領期と同じように日本に軍隊を配備し続ける為の取り決め。[10] — 前泊博盛


米軍の海外駐留基地は、常に米軍の遠方での軍事介入の拠点であり、沖縄在日米軍基地がベトナム戦争の主要な軍事行動の拠点になったように、4千人以上が犠牲になったパナマ侵攻でもパナマ国内の米軍基地から米軍は直接首 都パナマシティを侵略した。そして、1991年にパナマが軍隊廃止の憲法改正法案を通過させると、米国議会でパナマ運河協定の見直し案が通過し、米軍のパナマ侵攻の真の目的であったパナマ防衛軍の解体と米軍のパナマ駐留継続を確実にした。[11]


対米従属の世界史的発展段階 [12][13]


実態として確認されている対米従属の事例とは、アメリカ合衆国政府が、戦前、冷戦期及びそれ以降海外に樹立した傀儡政権(en:Puppet state)を背後から操って間接支配する統治の事例であり、従来の公式的な冷戦史観とは異なった世界史がその表面下に通底しており、対米従属と対米自立の闘争は日本に限らず世界史的な規模で展開されて来たし、それには歴史上の幾つかの発展段階がある。


File Photo: Sanford Ballard Dole (1844–1926)  Image: Wikimedia=Wikipedia
File Photo: Sanford Ballard Dole (1844–1926) Image: Wikimedia=Wikipedia

第一は、1893年からのハワイ併合過程が象徴する直接的植民地支配の帝国主義時代から、1941年7月に設立された情報調整局(en: Office of the Coordinator of Information)を前身とする戦略情報局(OSS、Office_of_Strategic_Services)を成立させた第二次世界大戦期を経て、1947年の大統領が議長を務める国家安全保障会議と、それが管理する大統領直属の諜報機関CIAを成立させた国家安全保障法案可決までの段階、


第二は、1953年のイランにおけるCIA初の海外政権転覆(en:1953 Iranian coup d'état)であるモハンマド・モサッデク政権転覆及び対米従属政権樹立のTPAJAX作戦から、1973年9月11日のチリに 於けるサルバドール・アジェンデ政権転覆作戦における史上初の、ニクソン政権支援のシカゴ学派の新自由主義クーデター(チリ・クーデター)成功に至るまでの新帝国主義政策形成の段階[14]、


File Photo: A report to the National Security Council on Operation Ajax. Image: Wikimedia=Wikipedia
File Photo: A report to the National Security Council on Operation Ajax. Image: Wikimedia=Wikipedia

File Photo: Operation Ajax in 1953. Image: Wikimedia=Wikipedia
File Photo: Operation Ajax in 1953. Image: Wikimedia=Wikipedia

そして、第三が、それ以降から冷戦終結を経て世界中で1973年のチリ・クーデターをモデルにしつつ実施される段階である。ただしそれは、サッチャーのフォークランド戦争時の新自由主義応用モデルや、ボリビアのビクトル・パス・エステンソロやゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダのように、非軍事政権で尚かつ文民クーデターによる新自由主義応用モデルなどの登場をもたらした。すなわち議会制下で、合法的に秘密保護法などのように抗議反乱を鎮圧できるソフトな強権体制を確立し、軍事政権や強制収容所やシカゴ学派をもはや必要としない形[15]で、発展応用されていく惨事便乗型資本主義(コーポラティズム略、en:Disaster Capitalism)の段階である。[16]


対米従属の具体例


第二次世界大戦以前から冷戦終結以降までの海外の対米従属政権の具体例としては、以下の如く1893年から現在(2013年)まで国内外の研究と情報公開により検証指摘されたものを列挙していく。


ハワイ併合過程における1893~1903年期間のハワイにみるサンフォード・ドール政権、1936~1959年期間のキューバにみるフルヘンシオ・バティスタ政権、

1939~1958年期間のイラクにみるファイサル2世_(イラク王)政権、

1948~1960年期間の大韓民国にみる李承晩政権、

1948~1957年期間のタ イにみるプレーク・ピブーンソンクラーム政権、

1949~1963年期間の西ドイツにみるドイツキリスト教民主同盟のコンラート・アデナウアー政権、

1963~1966年期間の西ドイツにみるルートヴィヒ・エアハルト政権、

1966~1969年期間の西ドイツにみるクルト・ゲオルク・キージンガー政権、

1969~1974年期間の西ドイツにみるヴィリー・ブラント政権、

1974~1982年期間の西ドイツにみるヘルムート・シュミット政権、

1982~1998年期間のドイツにみるヘルムート・コール政権[17]、

1954~1989年期間のパラグアイにみるアルフレド・ストロエスネル政権、

1939~1975年期間のスペインにみるフランシス・フランコ政権、

1948~1949年、 1953~1958年、そして1970~1974年期間のCIAの麻薬基地のあったコスタリカにみるホセ・ フィガレス・フェラー(en:José_Figueres_Ferrer)政権、

1964~1967年期間のブラジルにみるウンベルト・デ・アレンカール・カステロ・ブランコ政権、

1940~1968年期間のパナマにみるアナルフォ・アリアス(en:Arnulfo Arias)政権、

1969~1981年期間のパナマにみるオマル・トリホス政権、

1983~1989 年期間のパナマ共和国にみるマヌエル・ノリエガ政権、

1989~1994年期間のパナマ共和国にみるエンダーラ(en: Guillermo_Endara, 副大統領Guillermo Ford)政権、

1980~1988年期間の大韓民国にみる全斗煥政権、

1930~1952年期間のドミニカ共和国にみるラファエル・トルヒーヨ政権、

1931~1944年 期間のエルサルバドルにみるマクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネス政権、

1954~1989年期間のパラグアイにみるアルフレド・ストロエス ネル政権、

1957~1971年期間のハイチにみるフランソワ・デュヴァリエ政権、

1960~1996年期間のドミニカにみるホアキン・バラゲール政権、

1932 ~1949年期間のホンジュラスにみるティブルシオ・カリアス・アンディーノ政権、1937~1956年期間のニカラグアにみるアナスタシオ・ソモサ・ガ ルシア政権、

その後継として1956~1963年期間のニカラグアにみるルイス・ソモサ・デバイレ政権、

1963~1979年期間のニカラグアにみるアナスタ シオ・ソモサ・デバイレ政権、

1963~1979年期間の韓国にみる朴正煕政権、

1959~1963年期間のタイにみるサリット・タナラット政権、

1955~1963 年期間の南ベトナムにみるゴ・ディン・ジェム(en:Ngo_Dinh_Diem)政権、1958~1988年期間のブルマにみるネ・ウィン政権、

1965~1967年期間の南 ベトナムにみるグエン・カオ・キ政権、

1964~1965年期間の南ベトナムにみるグエン・カーン政権、

1966~1967年期間のガーナにみるエマニュエ ル・クァシ・コトカ(en:Emmanuel_Kwasi_Kotoka)政権、

1969~1970年期間のガーナにみるアクワシ・アフリファ(en:Akwasi_Afrifa)政権、

1955~1963年 期間の南ベトナムにみるゴ・ディン・ヌー、

1965~1975年期間の南ベトナムにみるグエン・バン・チュー政権、

1941~1979年期間のイランにみるモ ハンマド・レザー・パフラヴィー政権、

1950~1960年期間のトルコにみるアドナン・メンデレス政権、

1931~1946年期間のグアテマラにみるホル ヘ・ウビコ政権、

1954~1957年期間のグアテマラにみるカルロス・カスティージョ・アルマス政権(en:Carlos_Castillo_Armas)、

1947~1957年期間のタ イにみるファオ・スリャノンド(en:Phao_Sriyanond)、

1952~1956年、1960~1964年、1985~1989年期間のボリビアにみるビクトル・パス・エステンソロ政権、

1963~1973年期間のタイにみるタノム・キティカチョン(en:Thanom_Kittikachorn)、

1963~1973年期間のタイにみるプラファス・チャルサセン(en:Praphas_Charusathien)政権、1975~1976年期間のタイにみるククリット・プラーモート政権、

1976~1981年期間のウルグアイにみるアパリシ オ・メンデス(en:Aparicio Méndez)政権、1977~1980年期間のタイにみるクリャンサック・チャマナン(en:Kriangsak Chamanan)政権、1945~1975年期間 の台湾にみる蒋介石政権、

1978~1988年期間の台湾にみる蒋経国政権、

1970~1975年期間のカンボジアにみるロン・ノル政権、

1973~1990年期間 のチリにみるアウグスト・ピノチェト政権、

1976~1981年期間のアルゼンチンにみるホルヘ・ラファエル・ビデラ政権、

1965~1986年期間のフィリ ピンにみるフェルディナンド・マルコス政権、

1962~1999年期間のアンゴラにみるホールデン・ロベルトの国外アンゴラ革命政府(GRAE)を樹立したアンゴラ民族解放戦線、

1966~1969年期間のボリビアにみるレネ・バリエントス・オルトゥーニョ政権、

1969~1991年期間のソマリアにみるモハ メド・シアド・バーレ政権、

1976~1983年期間のアルゼンチンにみるギレルモ・サレツ・メーソン政権(en:Guillermo Suárez Mason)、

1971~1978年、 1997~2001年期間のボリビアにみるウゴ・バンセル・スアレス政権、

1970年以降のオマーンにみるカーブース・ビン=サイード政権、

1967~1998年 期間のインドネシアにみるスハルト政権(当時CIAのスハルト政権樹立作戦のマネジャーであったラルフ・マクギーは、1973年のチリ・クーデターの

モデル・オペレーションとして指摘している[18])、

1967~1974年期間のギリシャにみるゲオルギオス・パパドプロス政権、

1971~1981年期間のエジプトにみるアンワル・アッ=サーダート政権、

1979~1990年期間のイラクにみるサッダーム・フセイン政権、

1980~1981年期間のボリビアにみるル イス・ガルシア・タジャーダ政権(en:Luis García Meza Tejada)、

1982~1984年期間のホンジュラスにみるガスタボ・アルバレッツ・マルティネッツ (en:Gustavo Álvarez Martínez)、

1983年グレナダ侵攻後のグレナダにみるハドソン・オースティン(en:Hudson_Austin)政権、1981~2011年期間のエジプ トにみるホスニー・ムバーラク政権、

1993~1997, 2002~2003年期間のボリビアにみるゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ政権、2013年の2013年エジプトクーデター後のエジプトにみるハーゼム・エル=ベブラーウィー政権[19]、

1999~2001年期間のアルゼンチンにみるフェルナンド・デ・ラ・ル ア政権、

1999年以降のジブチにみるイスマイル・オマル・ゲレ政権、

1998~2005年期間のドイツにみるゲアハルト・シュレーダー政権、

2008~2013年期間の韓国にみる李明博政権などが著名である。[20] [21][22][23]


File Photo: A chart shows periods of Latin American puppet regimes.
File Photo: A chart shows periods of Latin American puppet regimes.

上述の対米隷属政権樹立の典型的な事例たるチリにおける対米自立的な民選政権の経済的暗殺[25]と軍事政変による転覆という米国政策(1964年から1973年までCIAが介入)からその本質を分析し、報告書にまとめたジャーナリストのジョン・リー・アンダーソン(en:Jon Lee Anderson)はこう証言している。 [26]


機密解除されたアメリカ政府文書に依ると、その計画とはチリをサルバドール・アジェンデ政権下で政権運営不能にし、社会的混乱を誘発し、そして軍事政変をおこすことである。......CIA筋はサンチアゴ駐在主任に明確にその骨子を伝達した。軍事政変によるアジェンデ政権転覆は揺るがぬ継続的な政策である。......我々は、この目標へ向けて継続的にあらゆる手段を尽くして最大限の圧力をかける。そしてこれは、極めて肝要であるが、これらの活動は秘密裏に実施されねばならず、米国政府と米国人の手によるものと明らかになってはならない。

             — ジョン・リー・アンダーソン


さらに、当時チリに於ける米国利権の代表である多国籍企業ITTは、ニクソン政権に対して18点要項の軍事政変計画まで進言していたことも発覚している[27]。


チリ軍部内部で信頼できる人的資源を確保せよ。......アジェンデに対する計画的な不満を産出せよ。そして、彼の除去を必要欠くべからざるものとするのだ。

             — ITTのニクソン政権へのチリ民選政府転覆計画立案より[28]


多くの対米自立政権は、自国の保持する主権を当然主張したことによって米国の多国籍企業の現地での覇権利権と衝突し、CIAの介入を招き転覆作戦によって対米従属政権に置き換えられて来た歴史がある。例えば米国によるイラン新政権転覆のためのイラン・イラク戦争を準備したイラン・コ ントラ事件に関するインタビューで、ピーター・デール・スコット教授(en:Peter_Dale_Scott)はこれをCIAの他国の民主政権転覆作戦の観点から概括している。


過去30年間に軍事クーデターが倒した民主政府を振り返るのは、同じ期間のCIA秘密工作の歴史を要約するものだ。1953年にはグアテマラのアルベンス大統領が倒された。1964年にはブラジル政府が倒され、1966年にはガーナ政府が倒された。ここで挙げた多くの政権は、自国の保有する資源の権利を繰り返し主張したことによって、国際的な石油企業とトラブルになった。CIAはこれら多国籍このような類似の事例はバングラディッシュでのCIAによるクーデター支援で、約50万人が殺害されたケースやイラクの歴史全体にも見られる。そこでは米国、イギリス、フランスの石油会社は、何年にも渡ってイラクの原油95%を所有するために傀儡政権を樹立してきたのである。その間に国民は例によって苛酷な貧困生活を彼ら財閥の利権確保のために強いられて来た。その結果、イラク国民は1958年になって7月14日革命を起こし、ファイサル2世_(イラク王)対米隷属政権を打倒した。米国と英国は中東に何千人もの軍隊を派遣したが阻止できぬままに、イラクは完全に独立国となったのである[30]。


FILE PHOTO: Infographic work on 52 US interventions since the end of World War 2 (1945-).  Image: Redfish
FILE PHOTO: Infographic work on 52 US interventions since the end of World War 2 (1945-). Image: Redfish

対米従属の日本国内の具体的事例


日本の文民型の従米政権(一部抵抗派の従米政権も含む)の事例については、政治評論家の孫崎享は、1945~1946年期間の幣原喜重郎政権、1946~1954 年期間の吉田茂政権、1960~1964年期間の池田勇人政権、1974~1976年期間の三木武夫政権、1980~1982年期間の鈴木善幸政権、1982~1987年期間 の中曽根康弘政権、1987~1989年期間の竹下登政権、1989~1991年期間の海部俊樹政権、1996~1998年期間の橋本龍太郎政権、1998~2000年期間の小渕恵三政権、2000~2001年期間の森喜朗政権、2001~2006年期間の小泉純一郎政権、2006~2007年期間の安倍晋三政権、2007~2008年期間の福田康夫政権、2008~2009年期間の麻生太郎政権 [31] 、2010~2011年期間の菅直人政権、2011~2012年期間の野田佳彦政権、2012年からの安倍晋三政 権[32] (2012-2020)などを挙げている。[33]


元外務大臣重光葵は、日本最初の対米従属政権である幣原喜重郎政権とその組閣を担った吉田茂に関して重大な証言を残している。[34]


幣原新内閣は昭和20年10月9日成立した。その計画は吉田外務大臣が行った。吉田外務大臣は、いちいちマッカーサー総司令官の意向を確かめ、人選を行った。残念な事に、日本の政府はついに傀儡政権となってしまった。


— 重光葵『続 重光葵日記』[35]


また、CIAの創設メンバーで、GHQ参謀第二部長として日本の文民型の対米従属政権樹立に直接関与したのが、チャールズ・ウィロビーである。彼は第三者の引用と言う形式で叙述した自著『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』で吉田茂従米政権成立過程を回顧してこう証言している。[36]


ウィロビーは大変吉田びいきだったね。帝国ホテルのウィロビーの部屋へ、吉田さんは裏庭から忍ぶようにやって来たりしたよ。裏階段を登ってくる吉田さんとばったりということが何度もあったな。(中略)あのころは、みんな政治家は米大使館(マッカーサー の宿舎)には行かず、ウィロビーのところで総理大臣になったり、あそこで組閣したりだった。
— チャールズ・ウィロビー『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』[37]

チャールズ・ウィロビーは、その後1951年退役後に、スペインのファシスト対米従属政権の独裁者フランシス・フランコの顧問に就任した。また、戦後日本の官僚は米国との関係上、貿易と安保の間の分離(政経分離)を維持し、ペンタゴンに歓迎され、以後半世紀以上にも及ぶアメリカの日本における覇権の象徴とみなされるようになった[38]。


対米従属政権の政治経済体制


ラテンアメリカにおいて主流な軍人型による従米政権か主として戦後日本における文民型による従米政権かは、当該国の政治体制に依って異なり、軍事政権、軍国主義、ボナパルティズム、ファシズム、寡頭制、君主制、社会主義や議会制民主主義政体のものなど上述以外にもその他多数存在している。


File Photo: Pinochet and Bush Senior. © Biblioteca del Congreso Nacional - Chile
File Photo: Pinochet and Bush Senior. © Biblioteca del Congreso Nacional - Chile

また以上の事例からもグアテマラにみるホルヘ・ウビコ政権のような従米ファシズムという極端に歪な隷属形態もあるだけでなく、いわゆる従米政権、傀儡政権が単なる従米右派独裁政権とは限らないのである。さらにまたその経済政策は、新自由主義政策を採用する場合、いわゆる開発主義政権(en:developmentalism)ではない。2007年にネオコン批判の政治経済学的研究書 『ショック・ドクトリン』を上梓し、シカゴ学派の新自由主義政策を惨事便乗型資本主義として批判分析したナオミ・クラインは、ラテンアメリカ諸国でシカゴ学派を政策顧問にした対米従属政権によって実施された惨事便乗型資本主義の顛末をこう総括している[39]。


多くのラテンアメリカ諸国は、何百万人をも貧困化させた経済的ショックと、それとは異なった種類の社会を奉じた何百何千という人々への懲罰的拷問の疫病的蔓延との間の直接的な関連を目にしたのである。


— ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』


ヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカでは、米帝国主義はその典型として、南米のCIAのコンドル作 戦(Operation Condor)(1975)のようにワシントンの供与した当時最先端技術のコンピュータシステムで反体制や労 働組合を国際的に弾圧し、国境なき拉致や拷問を繰り広げたファシスト官憲、アウグスト・ピノチェトのような西側の対米従属政権のパラダイムとなった大量虐殺のボナパルティスト要人を、米国内のSOA(1946年に米国によりパナマで開校されたアメリカ陸軍米州学校、U.S.ARMY School Of Americas、開校以来中南米の55,000人 以上の将校が反乱鎮圧戦を主に訓練を受け、毎年約2,000人が通う。1984年に米国内のジョージア州フォートベニング陸軍基地に移転し、2001年の改名後は現在の西半球安全保障協力研究所がこれに該当する)で養成し、従米軍国主義の独裁体制を傀儡政権として樹立し、シカゴ学派_(経済学)(en:Chicago_Boys)のシカゴ大学経済学教授ミルトン・フリードマンが指導した新自由主義(en:neoliberalism)政策を実施させた。


File Photo: Milton Friedman ©Meiselman, Ellen
File Photo: Milton Friedman ©Meiselman, Ellen

ミルトン・フリードマンは、それが史上初めて自身が政策顧問を担当したアウグスト・ピノチェトによりチリで実践されたことを自画自賛しつつチリの奇跡として喧伝した。このチリでのシカゴ学派の新自由主義的実験の実相をノーベル賞作家のガルシア・マルケスは、映画監督ミゲル・リティンの1985年のチリへの秘密潜伏によるドキュメンタリー映画制作過程のルポルタージュの中で、その帰結としての地主階級の貧困化、中産階級の没落と労資間格差の深化の有様をこう記述している[40]。


街頭の売り子というのはチリでいつでもみられたのだが、これほど数が多かったことはなかったと思う。彼らは黙黙と、長い列を作っている。今日ではこんな光景が見られない繁華街というものは、凡そ考えられないだろう。そこではあらゆるものが売られている。その人数も多く、様々な人がいるので、それだけで社会を映し出す鏡となっている。失業した医者や落ちぶれた技術者、あるい は、いくらでもよいからと良き時代の衣類を売りにきた侯爵夫人の傍らには、盗品を差し出している孤児や手作りのパンを売ろうとしている下層階級の女性の姿が見られる。だが専門職の人々のほとんどは、不幸に落ちたとはいえ、品位だけは捨てていないようだ。


— ガルシア・マルケス『戒厳令下チリ潜入記-る映画監督の冒険』[41]


新自由主義(en:neoliberalism)政策とは、つまり危機や脅威論を創出し、それを利用して民営化や規制撤廃など常 時では国民に受け入れられがたい民衆本位でない強行策実施を一部の投機分子の為に画策するいわゆる惨事便乗型資本主義(en:Disaster Capitalism)や新保守主義、ネオコン(en:Neoconservatism)としても知られる政策である。


さらに詳述すると、しばしばIMFや世界銀行を通して実施されたりするが、反開発主義、反ケインズ主義という 立場のもと、危機や脅威論を計画的に創出し、即時反対抗議や反乱が不可能な危機的状況下で支配権を握り、 それに便乗し積極的且つ迅速な民営化(特定の官僚や資本家による公共資源・公共事業の私有化、私有事業化、 果ては戦争や災害危機も私営事業化し、公共資源を1%の富裕層の占有とする)と規制撤廃(経済自由化や貿易自由化やグローバリゼーションのレトリックや名目でなされる相手国国内の地場基幹産業の保護撤廃や労働保 護撤廃、貿易障壁の撤廃、公共サービスの削減、社会保障ネットの撤去など)による市場経済原理主義、純粋資本主義(pure capitalism)の復古、福祉国家解体を目指すというショック療法的政策(ショック・ドクトリン、ビッグバン (金融市場))を、その帰結として不可避に生じる格差の深刻化からくる抗議反乱を最も便宜に鎮圧可能な強権体制で貫徹させ支配してきた[42][43]。


しかし、米国国内では、当時ニクソン政権はあくまでニューディール以来のケインズ主義政策を採用し、新自由主義の成果は危機に便乗した超富裕層の自社内部留保などの蓄財に資っしたのみで、通常の民主体制下では想像出来ない様々な弊害を当該国(軍政下の南米、インドネシア、トルコ、韓国、ガーナ、他に一党支配下のメキシコ、シンガポール、香港、台湾、中国、ロシア、そして多党制下のサッチャーの英国、レーガン政権以降の米国[44])へともたらした。例えば新自由主義政策実験国第一号となったチリでは、1974年から世界最大の375%というインフレ(前政権時の2倍)を記録し、1973年から1983年間に177,000もの職が喪失したり、自由貿易が雇用率を上げると当初喧伝されたが、失業率も前政権の2%から20% へ、そして二年後には25から30%へと急上したりと2007年には、ついに国連調査で世界で八番目の格差社会となった[45]。


また国家機構としてはベニート・ムッソリーニの警察国家のように、政府、資本家及び労働官僚らが国家主義の名の下に謀議するコーポラティズム国家形成(国家の株式会社化とも揶揄される)が、対米従属政権の特徴でもある[46]。その支配と圧政を敗ったのはあくまで米国によるのではなく、例えば1927年~1933年にニカラグアでアメリカ海兵隊を敗り、同国の対米従属政権への反対運動を指導したアウグスト・セサル・サンディーノに始まるサンディニスタ民族解放戦線や、1979年のイスラム右派と左派の共闘したイラン革命の如く、右翼も左翼も共闘した当該諸国の被圧迫諸民族の対米自主独立の民族主義闘争だった。[47][48]


ナオミ・クラインは、さらにシカゴ学派の新自由主義が国際間のイデオロギー闘争において幾つものレトリック、タームの下に流布している現象(リベラルと保守の定義の相対性と混淆)を指摘し、それに分析を加えている。


フリードマンは彼自身をリベラルと呼んだ。しかし、リベラル達に高額税とヒッピー達を伴って協力した彼の追随者たちは保守、古典派経済学者たち、自由市場主義者たちと認められ、後には、レーガノミクスやレッセフェールの信奉者たちと認められた。最大多数の世界の国々において、彼らの古典的教義は新自由主義として知られるが、それはしばしば自由貿易や単純にグローバリゼーションと呼ばれる。

— ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』[49]


非公式な死の部隊の暗躍


File Photo: Pinochet CIA Profile in 1976. Image: Wikimedia=Wikipedia
File Photo: Pinochet CIA Profile in 1976. Image: Wikimedia=Wikipedia

1970年代後半から1980年代初めの内戦期のアルゼンチンで、キッシンジャーの黙認と対外的な否認のもとで、 当該従米軍事独裁政権により約3万人が拷問され殺害された通称汚い戦争(en:Dirty_War)や1981年にレーガン政権とCIAにより組織された従米反政府武装テロ組織にして、ラテンアメリカのCIA麻薬取引ネットワーク(歴史的に はベトナム戦争時に遡り、コスタリカのハル農場を仲介して麻薬取引が行われた)を介して、米政府に援助され たニカラグアの反革命軍を標榜する国際テロ組織コントラによるコントラ戦争やグアテマラの1954年 のPBSUCCESS作戦に顕著な米帝国主義政策、チャルマーズ・ジョンソンは、これを隠密帝国主義(en:Stealth Imperialism) [50]と言うが、それは、ペンタゴン、軍産複合体による140カ国以上、その90%は非民主的政権への 武器売却(Arms Sales)やCIAの麻薬取引を積極的構成要素とするだけでなく、属国にあくまで労資調停者である かのように振る舞うボナパルティスト(ポピュリスト)政権を望む傾向にある。


さらに、CIAは何千人ものユダヤ人やレジスタンスを虐殺したナチスのクラウス・バービーのような元ナチス幹部を他の連合国へ引き渡さ ず、ボリビアへ密入国逃亡をさせ、秘密戦争のために自らのスパイとして雇ったり、チリやアルゼンチンに亡命していたナチスの元高官たちを雇って、南米の諜報機関を養成したが、元ナチスだけでなく、ラスベガス・ マフィアのジョン・ロゼッリ、シカゴのボス、サム・ジャンカナ、タンパのボス、サント・トラフィカンテ、 スハルト政権樹立を援助したバークリー・マフィアといったいわゆるマフィアも雇って作戦に利用した。


File Photo: Jeju Massacre in 1948. Image: Wikimedia=Wikipedia
File Photo: Jeju Massacre in 1948. Image: Wikimedia=Wikipedia

さらに、1948年米軍統制下の南韓国の軍部が、済州市内で、南北統一された自主独立国家の樹立を訴えるデモを行っていた島民約6万人を、冷戦のレトリックである反共名目で大量虐殺し、その他の島民約4万人が日本へ強制移住となった済州島四・三事件(en:Jeju Uprising)のような東アジアにおける大規模な弾圧、1979年から1980年にかけて、全斗煥が米軍司令官ウィッカム(General Wickham)及びワシントンの許可を受け第20部隊を用いて行った5.18光州民主化運動の大虐殺(en:Gwangju_massacre)[51]、1980年代ラテンアメリカの民族独立の民主主義運動を反共名目で約20万人以上を虐殺し粉砕した、その歴史的起源を1927年のルーマニアの極右反ユダヤ主義集団である鉄衛団(en:Iron_Guard)とする死の部隊(en:Death_squad)、革命前のイランでの米国と同盟したモハンマ ド・レザー・パフラヴィーによるCIAが作り出した暗殺集団SAVAK(国王秘密警察, en:SAVAK)を利用した反体制派数千人の大虐殺、米国によるチリのアウグスト・ピノチェト政権の樹立と彼の少なくとも4千人と言われる拷問や虐殺の罪責の免除、同政権による少なくとも80,000人の反対派市民の逮捕投獄や200,000の難民流出[52]、トルコにおけるクルド人虐殺、1981年エルサルバドルにおけるSOA出身将校等によるエルモソテ村大虐殺などの国家テロ(en:State Terrorism)のように、米国に支持された対米従属政権の自国民への人権蹂躙及び弾圧は世界史的に広範に見られる傾向である[53]。


CIAが支援した対米従属政権によるこの手の自国民の虐殺の中でも最大規模とされるのが、インドネシアのスハルト政権による1965年から1967年にかけて自国の約100万人をCIAが作 成した反体制派名簿に従って軍が殺戮していった事例である。さらに、スハルト政権は、当時のジェラルド・ フォード米国大統領とヘンリー・キッシンジャーの許可を得て、1975年に東チモールに侵攻し、それ以降10年間東チモールを対外的に封鎖し、人口の3分の1である約20万人をも虐殺した。1991年には、同政権はサンタクルス事件という現地住民の大量虐殺事件も引き起こした。[54]そして日本や英国、オーストラリアなどはこれを黙認してきた。


File Photo: President George H.W. Bush being briefed by the Defense Intelligence Agency (DIA) during the 1989 US invasion of Panama. Image: Wikimedia=Wikipedia
File Photo: George H.W. Bush being briefed by DIA during the 1989 US invasion of Panama. Image: Wikimedia=Wikipedia
冷戦期始まりの世界中で、公式非公式の米国の代表者たちが活動してきた。しばしば、隠密なやり方で、民衆を圧迫する政権を樹立したり、彼らの軍隊や警察を作り出した。それらは、往々にして彼ら自身の民族の大部分に敵対した
— チャルマーズ・ジョンソン [55]

又直接的に軍事介入や経済制裁が米国によってなされる事例でも、実態とは正反対のイデオロギー的な粉飾が される傾向がある。例えば、米国による1991年からの経済制裁がイラクの社会資本を破壊したことにより約150万人のイラクの子供たちが死亡したと されるケースでは、1989年の経済制裁前の幼児死亡率を超えてそれは急上昇していったが、サッダーム・フセインがその危機の元凶と喧伝された上 に、バグダッドにある子供用の中東唯一の粉ミルク工場を化学兵器工場であるとして破壊し、他のイラク食料保存加工施設をも徹底的に破壊した事 は有名である。このような経済制裁は、一種の大量破壊手段として指摘され、戦争のために市民を飢餓へ追いやることは国際法違反であり、ジュネーブ条約、国連憲章、WHO憲章、世界人権宣言、諸国家の経済的権利や義務憲章すべてに違反している。[56]


さらに、4千人以上が亡くなったパナマ侵攻のケースでは、米軍はトンキン湾事件の如く侵攻前に何度も挑発し事件を引き起こし、国際紛争をでっちあげ米軍がパナマ人を挑発して起こった事件を理由にして、アメリカ人の生命を守ると言う名目でパナマ侵攻を行った事も指摘されている。[57]


なお朝鮮半島[58]に関しては、ペンタゴンは1997年同省長官ウィリアム・コーヘンを通じ朝鮮統一後も米軍基地の継続駐留の意向を、理由には一切言及せず明言している。さらに1994年の南北朝鮮の枠組み合意以降、両国の外交的努力による緊張緩和を妨げる一連の不可解な事件が今日まで頻発していることがチャルマーズ・ジョンソンによっても指摘されている[59]。米軍は、属国自体を防衛しているのではなく、東アジアの衛星国家群が 成す従米属国ブロックという永遠の軍事的利権を防衛しているのが実態である。(国民には、自国に於ける米国支配搾取の永続化が自国の安全保障というように倒錯して映っている実態として指摘されている)[60][61]


ヨーロッパにおける対米従属の事例としては、CIAはNATOの従属国を利用して、従米政権樹立のために極左のテロを偽装した従米極右集団による国際テロ作戦であるグラディオ作戦(en:Operation Gladio)を1969年から1982年までの長期間実施していたことも発覚している。[62]


21世紀に入ってからも、CIAはベネズエラで2002年4月反チャベス政権の従米軍部によるクーデターで数日間ながら傀儡政権を樹立したり、未だにその対米従属化政策の非民主的な政治介入の手口を放棄していない。[63]


以上のように対米自主独立勢力を監視し、破砕する諜報工作機関は、CIAのみだけではなく、2013年11月2日のニューヨーク・タイムズで同盟国たる日本をも経済、外交、技術革新の三分野で盗聴していることがスノーデンの公開文書で発覚したアメリカ国家安全保障局[64]、アメリカ国防情報局DIAや思いやり予算で日本人従業員をネット検索上の情報収集とレポート作成に毎日あたらせ日本、中国やインドの言論、軍事動向などを監視通報する在日米軍座間基地所在のアメリカ陸軍情報保全コマンド(在日米軍諜報工作機関米軍第500軍事情報旅団 「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachment)などの他、米国諜報機関に協力する陸上自衛隊の諜報組織別班 (座間基地所在の米軍第500軍事情報旅団により1950年代に軍事情報特別訓練MISTを通じて創設された秘密諜報組織で、1973年の金大中元韓国大統領の東京ホテル拉致事件に米軍司令下で関与)、英国のMI5等各国の対米協力諜報機関が加わる。[65][66]


(S//SI) J.任務:新出の戦略的技術:技術的脅威の防止。対象地域:軍事的、経済的、或は政治的優越性をもたらす決定的な技術。高エネルギーレーザー、低エネルギーレーザー、コンピュータ及び情報技術発展の優越、エネルギー兵器へのシフト、隠密或は反隠密の電子軍事兵器、空間と宇宙の監視、電子計量器、ナノテクノロジー、エネルギー物資。この新出の技術的な脅威は主としてロシア、中国、インド、日本、ドイツ、フランス、韓国、イスラエル、シンガポー ル、そしてスイスからくるものとされる。
— アメリカ国家安全保障局『文書のみせる米国の敵国及び同盟国をスパイするN.S.A.の努力』 より[67]

チャルマーズ・ジョンソンは、2004年発表の論文『三つの冷戦』(原題:The Three Cold Wars)で上述の冷戦期から冷戦期以降他国に軍事独裁の反民主主義を輸出するアメリカ軍国主義に関してこう総括している。[68]


File Photo: Secretary of Defense William Cohen (left) meets with Indonesian President Suharto at his residence in Jakarta on January 14, 1998.  Image: Wikimedia=Wikipedia
File Photo: Secretary of Defense William Cohen (left) meets with Indonesian President Suharto at his residence in Jakarta on January 14, 1998. Image: Wikimedia=Wikipedia

......アメリカは中国と、野蛮な戦争を戦った。朝鮮半島では文字通り中国と戦い、ベトナム戦争も比喩的には中国との戦いで、毛沢東の人民戦争理論の威信を傷つけようと狙ったのだった。ベトナム戦争はアメリカの有権者の間に深刻な分裂を招き、又、アメリカが帝国主義的な弱いものいじめだという悪評を高めるのに一役買った。しかしながら、そうした事以上に、これらの戦争以来、ヨーロッパ以外の外国への対応に、大きな特徴がでてくるようになった。すなわち、相手国の政治経済情報を知る地道な調査を積み重ねる事なく、抽象的なうたい文句やスローガン(たとえば、「共産主義者の世界的共謀」、「対ゲリラ戦」、「自由な世界」、「囚人国 家」などなど)に寄りかかるようになったこと、また軍事力を過剰に行使し、不適切な暴力に訴えるようになったこと、さらには意に添わない政権を追い落としたり、民衆の支持はないが親米的な政権を支援したりする(イラン、グアテマラ、日本、ピッグス湾[キューバ]、コンゴ、 韓国、南ベトナム、ドミニカ共和国、フィリピン、インドネシア、チリ、アンゴラ、ニカラグ ア、ソマリア、ハイチなど、よく知られているだけでもこれだけある)ために秘密工作を展開するようになったことだ。ソ連が消滅する頃までには、アメリカ外交はこうした手法に依存するあまり、外交術のような駆け引きや対外援助、他国の規範になるようなアメリカの姿を内外に示すといった伝統的な方策はすっかり影をひそめてしまった。


— チャルマーズ・ジョンソン『三つの冷戦』


対米従属に反対する人々の意見

File Photo: Augusto César Sandino, Nicaraguan revolutionary. Image: Wikimedia=Wikipedia
File Photo: Augusto César Sandino, Nicaraguan revolutionary. Image: Wikimedia=Wikipedia

アメリカ合衆国とのどのような関係を対米従属と認識し評価するかは、論者の認識・感情・意見・社会的関係により異なる。具体例として左派・右派ともに下記のような様々な事例がある。


対米従属反対、対米自主独立の先駆者である元外務大臣重光葵は、敗戦直後日本社会の政官商民の対米従属が主流となる中、こうした状況に就いて次の如く見解を表明している。[69]


......結局、日本民族とは、自分の信念をもたず、強者に追随して自己保身を計ろうとする三等、四等民族に堕落してしまったのではないか......節操もなく、自主性もない日本民族は、過去においても中国文明や欧米文化の洗礼を受け、漂流していた。そうして今日においては敵国からの指導に甘んじるだけでなく、これに追随して歓迎し、マッカーサーをまるで神様のように扱っている。其の態度は皇室から庶民に到るまで同じだ。......はたして日本民族は、自分の信念をもたず、支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身を計ろうとする性質を持ち、自主独立の気概もなく、強い者にただ追随していくだけの浮き草のような民族なのだろうか、いやそんな事は信じられない。いかに気持ちが変化しても、先が見通せなくても、結局は日本民族三千年の歴史と伝統が物をいうはずだ。かならず日本人本来の自尊心がでてくると思う。
— 重光葵『続 重光葵日記』[70]

在日米軍問題の専門家で沖縄国際大学教授の前泊博盛は、日米行政協定(現日米地位協定)が、米軍による日本の主権侵害を許し、対米従属を もたらしている核心的な不平等協定のみならず、原発再稼働問題や検察ファシズムといった構造的な弊害をも日本社会にもたらしている事を分析してこう言っている。[71]


国内に巨大な外国軍を駐留させ、10万人近いその関係者たちに治外法権を与え続けた結果、日本の国内法の体系は完全に破壊されて しまいました。たとえば米軍基地の違憲性を争った1959年の砂川裁判(砂川事件)では、日本の最高検察庁がアメリカのハーター国務長官の指示通りの陳述を行い、田中最高裁長官は大法廷での評議の内容を細かくマッカーサー駐日大使に報告し、アメリカ国務省の考えたロジックに基づいて判決を出したことが、アメリカの公文書によってあきらかになっています。憲法を頂点とする表の法体系の裏側で、米軍基地の問題を巡って、アメリカが日本の検察や最高裁を直接指示するという違法な権力行使が日常化してしまった。 それが何度も繰り返されるうちに、やがて「アメリカの意向」をバックにした日本の官僚達までもが、国内法のコントロールを受けない存在になっています。そのことが現在の日本における最大の問題になっているのです。[72]


— 前泊博盛


在日米軍による基地問題で、日米安保条約が米軍兵による強姦事件(Sex crimes)発生率が米本土以上の82%という沖縄県民の児童、女子の安全を保障していないことを批判して、沖縄の詩人にして沖縄県立普天間高等学校化学教員のBen Takaraはこう見解を述べている。[73]


私たちは一度私たちの女子生徒達に登校或いは帰宅途中に米兵により怖い思いをさせられた経験がないか調査を行いました。なんと 3分の1から全校生徒中の2分の1の女子生徒がイエスと答えたのです......強姦事件(The rape case)...というのは氷山の一角に過ぎないのです。私は日米安保条約が沖縄人の安全を保障していないということを言わねばなりません。[74]


Ben Takara


2002年4月、横須賀でアメリカ海軍の空母・キティーホークの乗組員兵に強姦されたうえに、神奈川県警で同署の6名の警察官からセカンドレイプの被害を受けた在日オーストラリア人キャサリン・ジェーン・フィッシャーさんは、レイプに反対なら、米軍継続駐留の法的根拠である日米地位協定を変えるべきであると提案し、こう見解を述べている[75]。


私は、1980年代から日本に住んでいるオーストラリア人です。横須賀に入港したアメリカ海軍の空母・キティーホークの乗組員であるDに基地近くの私の車の中でレイプされました。私は、すぐに神奈川県警に事件を届け出ました。しかし、県警では6人の警官に何時間もからかわれたり笑われたりしながら尋問され、露骨に性的な言葉も口にされました。最初は治療も水も食べ物も拒絶され、 犯罪の法的証拠のカギとなる尿検査用の容器も拒否されました。12時間くらい取調室に拘束されましたが、体に付着した証拠物も DNAも採取、保管すらされませんでした。これはセカンド・レイプです。警察は加害者がDであることを突き止めましたが、嫌疑不十分だとして起訴しませんでした。在日米軍兵士による犯罪はあとを絶ちません。2012年10月16日には、沖縄本島中部でアメリカ海軍所属の兵士2名が女性を襲い、集団強姦致傷の犯罪を犯しました。翌11月2日深夜には、アメリカ空軍の兵士が沖縄県読谷村で酒 に酔って女性会社員宅に押し入り、息子の中学生の顔を殴って1週間のけがを負わせ、テレビを蹴ったり床に引き倒したりして壊した事件がおきました。日米地位協定と呼ばれている在日駐留米軍に関する日米間の合意は1960年に調印されました。その第17条1のbには、「日本当局は、米軍の構成員と軍属、およびその家族に対して日本の領土内で起きた犯罪に関しては裁判権を有し、日本の 法律により罰することができる」と規定されています。しかし、現実にはほとんどの場合裁判しないで放置しています。それは、日米間で、公務外の犯罪の場合、日本側に裁判権がある大部分を放棄する密約があるからです。地位協定は、密約を含めて、米軍・米 兵にさまざまな特権を保障しており、犯罪の被害者の人権をこのうえなく蹂躙するものです。私は、神奈川県警のセカンド・レイプ に対して、神奈川県を相手に国家損害賠償請求訴訟を起こしました。しかし、1・2審、最高裁でも敗訴になりました。本当にショックです。日米の裁判所がDの刑事責任を問わないので、私は彼に対する民事訴訟を東京地方裁判所に起し、2004年11月、300 万円の支払いを命じる判決を得ました。しかし、私も裁判所も知らないうちに、アメリカの海軍は提訴直後に密かにDを名誉除隊にしてしまい、彼はアメリカに帰国し姿をくらまし、支払いに応じませんでした。私は、がまんができなかったので、アメリカに行ってDの所在を突き止めました。何と彼は、家を9つも持って優雅な生活をしていました。そこで、私は、アメリカの裁判所に日本の民事裁判の判決の承認を求めています。レイプ事件では、他国の判決に関するこのようなケースは世界で初めてだそうです。今年 (2012年)の11月に3日間沖縄に行きました。県庁の記者会見室で壊れたソファ(sofa)をみて、提案を思いつきました。「レイプに反 対なら、地位協定(SOFA=Status of Forces Agreement)を変えるべきです」。地位協定の16条には「日本国において、日本の法令を尊重し...」とあります。しかし、もっと強く、従う(obey)義務があると書き換えるべきです。私は、事件から8年間は人とご飯を食べられないなどのPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんできました。私は子どもが3人いますし、また。11年間に渡る裁判のことでもたくさんのおカネを使い経済的にも大変です。私を動かしているのは、「愛」です。今の時代、おカネや戦争が愛されています。しかし、平和のために人を殺すのはおかしいです。愛はすべての人間にこそ向けられるべきものです。愛は、米軍や政府よりパワフルです。[76]


— 米兵犯罪被害者キャサリン・ジェーン・フィッシャー


領土問題における政権側の対米従属を批判する見解も多々見られる。例えば、日米地位協定が尖閣諸島問題解決を阻んでいる事を指摘している関西学院大学法学部教授豊下楢彦はこう反対意見を述べている。[77]


そもそも日米地位協定では、使用されない施設や地域は返還される事になっている。ましてや「日本固有の領土」と内外に強調している尖閣諸島を構成する主要5諸島のうちの2島嶼(久場島と大正島)の返還を、日本政府はなぜ求めようとしないのであろうか。返還されない限り、「米軍の許可」なしには、この「固有の領土」に日本人は立ち入れないのである。[77]


— 豊下楢彦


経済政策における政権側の対米従属を批判する見解も多々見られる。これは、本来の経済政策が恐慌回避と解雇防止が本意であるのに逸脱しているという指摘が顕著である[78]。例えば、ミルトン・フリードマンの指導したシカゴ学派_(経済学)(en:Chicago_Boys)が対米従属政権に1973年9 月11日のチリ・クーデター以降、世界中で実施させてきた新自由主義(en:neoliberalism)が一部の超富裕層を除いて広範な社会諸階級に深刻な貧困化を生んでいる事を指摘したノーベル賞作家のガルシア・マルケスは、こう反対意見を述べている。


...数年程前からは、マポーチョ川では飢えた人々が市場から投げ込まれる食物のくずを犬や禿鷲と奪い合っている。シカゴ学派に倣って軍事評議会が実行したチリの奇跡の裏側である。チリはアジェンデ政府までは控えめな国であっただけでなく、保守的なブルジョアジーですら民族の徳として簡素さを誇っていたような国である。軍事評議会は自分たちこそチリをすぐにでも繁栄させることができるのだということを示そうとして、アジェンデが国有化したものを全て民間に返還し、国を民間資本や多国籍企業に売り渡した。その結果はなんであったかと言えば、目のくらむような、だが必要のない贅沢品と、ブームの幻想をふりまいただけのお飾りの公共事業の爆発に過ぎなかった。輸入はわずか五年間のうちに過去二百年の総額を上回ったが、それができたのは国立銀行の国営企業売却金で保証されたドル建ての信用のためであった。残りはアメリカ合衆国と国際信用機関の共犯によるものであった。六、七年の幻想が一挙に崩壊したのである。チリの対外債務はアジェンデの最後の年には四十億ドルであったものが、今日ではほぼ二百三十 億ドルにも達している。この百九十億ドルの浪費の社会的犠牲が如何なるものであったかを知るには、マポーチョ川の大衆市場を歩いてみるだけでよい。つまるところ、軍事政権の奇跡はほんの一握りの金持ちをますます肥やし、その他のチリの国民をますます貧困の奈落に陥れたのであった。


— ガルシア・マルケス[79]


対米従属に関するテーゼ


1. 対米従属を批判する人が日本国憲法を擁護し、対米従属だと批判される人が日本国憲法の改定を主張することがおかしいとの批評があるが、その批評は、戦後の米国外交路線の大転換である日本の弱体化と平行した民主化占領政策の1947年からの「逆コース」の事情を理解しないことから生まれているとする見解。[80]


2. 押し付け憲法論・自主憲法論を掲げる人が、連合国軍占領下の日本で制定された日本国憲法の維持を主張することを対米従属であるとする評価。


3. 日本国憲法第9条を維持することを主張する人が、同条も含めて日本国憲法の改変を主張する人々に対してアメリカ合衆国(国防総省・国務省)の言いなりになって日本を侵略戦争をする国に変えようとする対米従属であるとする評価。


3. アメリカ合衆国議会・政府が遂行したアフガニスタン戦争、イラク戦争に反対する人が、日本政府やイギリス政府やオーストラリア政府がアフガニスタン戦争やイラク戦争に協力することを対米従属だとするという評価。


4. 地球温暖化に懐疑的で温暖化予防対策に反対する人が、日本政府やイギリス政府がアメリカ合衆国政府と協力して、地球温暖化対策のための京都議定書を採択し、地球温暖化抑止政策を主張し遂行することに対して、対米従属であるという評価。


5. 商業捕鯨や調査捕鯨の復活を主張する人が、アメリカ合衆国政府やイギリス政府やオーストラリア政府と協力して、商業捕鯨の禁止・調査捕鯨 の規制政策を主張し遂行することに対して、対米従属であるという評価。


6. 日本が統治していた時代に朝鮮と台湾は発展したので、日本が朝鮮と台湾を統治したことは正義である。日本は欧米の植民地支配からアジアを 開放するために大東亜戦争を戦い、戦争の結果アジア諸国は独立したので、日本が大東亜戦争を戦ったことは正義である。日本が日本の統治や 戦争の関係各国に対して反省・謝罪をして関係修復することは、アメリカ合衆国のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムに洗脳されて、日本の統治や大東亜戦争の正義を否定することであるという極右にみられる評価


7. 極東国際軍事裁判は連合国軍占領下の日本で行われ、日本の政府・軍の幹部が戦争犯罪人として有罪判決を受け、刑を執行されたこと。日本の議会・政府がサンフランシスコ講和条約で、極東国際軍事裁判の判決を受け入れ、刑の執行を誓約したことは、日本の正義を否定することであるという評価。


8. アメリカ合衆国の占領統治下で、大日本帝国憲法が破棄され日本国憲法が制定されたことは、日本の主権に対する侵害であり、日本が国民と国 会議員の多数意見として、日本国憲法を破棄して自主的に憲法を制定することもなく、日本国憲法を改変もすることなく維持していることは、 大部分の日本国民がアメリカ合衆国に洗脳され、属国として支配されている証明であるという評価。


9. 日本がアメリカ合衆国と軍事同盟(日米地位協定、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)を締結し、アメリカ合衆国軍に基地を提供することは、日本の主権・独立・自立・中立を放棄し、アメリカ合衆国の覇権主義的、帝国主義的外交・軍事政策に組み込まれ、アメリカ合衆国の戦争に協力することであるから、日本はアメリカ合衆国との軍事同盟は解消し、在日米軍基地も完全撤去すべきであるという評価。


10. 日本とアメリカ合衆国との間で貿易や投資の規制を減少させ、貿易や投資を自由化することは、日本の産業・経済や日本国民の労働が産出する付加価値が、アメリカ合衆国に一方的に搾取収奪され、日本の企業がアメリカ合衆国の企業に買収され、アメリカ合衆国の企業に市場を支配され、アメリカニゼーションをグローバルスタンダードと称して強制され、日本国民の生活がアメリカ合衆国に支配され、日本をアメリカ合衆国の経済植民地化することであるから、貿易や投資の自由化は拒絶すべきであるという評価。


11. アメリカ合衆国で作られた政治・軍事・経済・産業・科学・技術・芸術・文化が日本に流入することは、世界の諸国の多種多様な文化を破壊し、世界の多様性を破壊して、アメリカ合衆国が世界にアメリカンスタンダードを強制し、世界をアメリカンスタンダードで支配しようとすることであるから、世界の諸国の文化と多様性を守るためには、アメリカンスタンダードを拒絶すべきだ、という評価。


12. 国民新党は公式サイトにおいて、“郵政民営化は日本の350兆円の資産強奪が目的であり、米国では日本へ民営化を押し付けておきながら、自国では国営の郵便事業を守り続けている、アメリカで郵便庁に勤務する約86万人は公務員で、大統領委員会は今後も公的機関が郵便事業を行うのが望ましいと結論づけている、「公営は時代遅れ」という言葉が、わが国の虎の子、国民の財産である350兆円を奪うための虚偽宣伝であることは明白”との見解を発表している。2005年の「郵政解散」翌日のフィナンシャル・タイムズにも「日本はアメリカに3兆ドルをプレゼント」と題する記事が掲載された。旭日旗がぼろぼろにされ、中央の穴の中にシルクハットにマント姿でアタッシュケースを持った西洋人が入っていく 風刺画が添えられていた。 孫崎享は、親米保守と反米保守という対米従属派のイデオローグによる二元論に疑義を呈し、従米右翼という戦後日本のナショナリズムの歪さを指摘してこう発言している。[81]


日本の主権を侵しているのはアメリカなのです。在日米軍基地の問題一つとっても明らかでしょう。普通に考えれば、ナショナリズムのターゲットはアメリカに向かって当然です。それなのになぜか中国や朝鮮半島が批判の対象になっている。私には理解できませ ん。


— 孫崎享


『独立の思考』 2010年に対米自立闘争の戦略的理論書『日本の独立』(飛鳥新社、2010年)を上梓した日本の政治経済学者の植草一秀は、占領軍の日本撤退を定めたポツダム宣言第12条に言及し戦後の継続駐留との矛盾を指摘しこう見解を述べている。


これらの条文に従って解釈すると、本来日本の「独立」とは、「日本から占領軍が撤退すること」をもって達成されるということになります。ところが現実はこれとは異なるものでした。米ソの冷戦が激化するなかで、米国が日本の「独立」を許さなかったのです[82]

— 植草一秀『アベノリスク 日本を融解させる7の大罪』


アメリカの国際政治学者チャルマーズ・ジョンソンは、2004年の論文『武力は過ちを犯す』で米軍の東アジアにおける基地帝国主義政策を批判して、こう提言している。[83]


アメリカは、東アジアの国々との協定を変更し、アメリカ軍を無制限に駐留させることなく、国家対国家の対等な同盟関係に転換していく必要がある。米軍を前進配備することは、それ自体紛争を誘発しかねず、東アジアの大きな不安定要因になっているからだ。 また米軍施設が東アジアの国々の中にアメリカの飛び領地のように存在する事は、道義上の問題を引き起こしており、のちのちの信頼関係と協力関係を築いていくための基盤にひびを入れている。(中略)この現状に東アジアの衛星諸国は早晩反旗を翻すだろう。 十年程前に、東ヨーロッパのソ連衛星国が示してみせたように。そうなってはもう手遅れだ。西太平洋地域に於けるアメリカ軍の存在によって得て来た何もかもが失われてしまっているだろう。


— チャルマーズ・ジョンソン『武力は過ちを犯す』


対米従属であると非難されているもの


以下に日本において対米従属であると非難されているものを記す。

日米地位協定

TPPへの参加 日米並行協議 日米安全保障条約 日米原子力協定 日米地位協定に基づく日米合同委員会(交換公文による密約締結) 密約

自民党 日本維新の党 公明党 民主党 みんなの党 アベノミクス[84] ネット右翼 原子力撤廃の国民運動への弾圧 秘密保護法[85] 日本国憲法改正問題 エドワード・スノーデンのアメリカ国家安全保障局(NSA)盗聴問題告発への反応 PRISM_(監視プログラム)問題への対応

集団的自衛権 東京地検特捜部 安倍晋三 検察ファシズム メディア 経団連 新自由主義政策(en:neoliberalism) オスプレイ強行配備 砂川事件最高裁判決 思いやり予算在日米軍、基地問題への対応(沖縄の基地問題に限定されない)

自衛隊海外派遣 在日米軍裁判権放棄密約事件 日米核持ち込み問題 年次改革要望書 規制緩和 郵政民営化 日米構造協議 大手マスコミの論調

国務省による声明


2006年7月、アメリカ合衆国国務省は中央情報局(CIA)と日本政界との間の秘密の関係を認める声明を発した。これにより、従来から囁かれていた自民党及び民社党への工作が事実であった事が判明した。


アメリカ政府は、日本の政治の方向性に影響を与えようとする四件の秘密計画を承認した。左翼政治勢力による選挙を通じての成功が、日本の中立主義を強化し最終的には日本に左翼政権が誕生することを懸念したのである。アイゼンハワー政権は1958年5月の衆院議員選挙の前に、少数の重要な親米保守政治家に対しCIAが一定限度の秘密資金援助と選挙に関するアドバイスを提供することを承認した。援助を受けた日本側の候補者は、これらの援助がアメリカの実業家からの援助だと伝えられた。......重要政治家に対する控え目な資金援助計画は、その後1960年代の選挙でも継続された。......もう一つのアメリカによる秘密工作は、極端に左翼的な政治家が......選挙で選ばれる可能性を減らすことを狙ったものだった。1959年にアイゼンハワー政権は、より親米的な『責任ある』野党が出現することを希望して、穏健派の左翼勢力を野党勢力から切り離すことを目指した。秘密工作の実施をCIAに承認した。この計画での資金援助は限られていて―1960年には七万五千ドル―、1960年代初期を通じて基本的に同じ水準で続けられた。......一方、日本社会の重要な要素に働きかけて極左の影響を拒絶させることを目指す、宣伝と社会行動にほぼ等分されたより広範な秘密計画は、ジョンソン政権の全期を通して継続された。これには控えめな水準の資金―たとえば1964年には四十五万ドル―が提供された。......


歴史的には、1952年以降日本に於ける民衆の在日米軍への抗議反抗はベトナム戦争終結以降まで広範に繰り広げられていた。そこで米国は単一政党支配を維持すべく1949年(自民党結党前)から1993年まで長期にわたり、CIAの与党自民党への財政支援が継続された。これは、長期安定した衛星国統治の為の対米従属政権としては同様にソ連の長期傀儡政権であった東ドイツと並んで記録的であるとされている[86]。


対米協力者の養成と対米自立的傾向の末路


更に、2008年に発行された、ティム・ワイナーニューヨーク・タイムズ記者の『CIA秘録』(原題:Legacy of Ashes)で、第二次世界大戦後の日本をアメリカ合衆国の友好国・同盟国にし、維持するために、CIAが日本の政財界の大物に協力させ、引き換えに活動資金を提供していたことが、機密指定を解除されて公開されたCIAの資料や、元CIA職員への聞き取り調査で明らかになった[87]


CIAが資金提供した協力者の中には、岸信介(時の首相満州国で官僚も務めたA級戦犯だったがアメリカの対日政策転換、いわゆる「逆コースにより罪を不問に付された[88])、正力松太郎(読売新聞 社元社主)、児玉誉士夫(実業家で大物右翼)などの社会的影響力がある人物が含まれていた。また自由民主党が結成される一助になっていたことも確認されている。


さらに、アメリカの歴史学者マイケル・シャラーが1997年に出版した日米関係研究書『「日米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで』(原題:Altered States: The United States and Japan Since the Occupation)で、後に岸信介が対米自立の傾向を強めると、CIAは当初吉田茂に岸を交代させようと策動し、結果1960年6月20日のマッカーサー駐日大使と吉田茂の面会で両者は池田勇人を岸の後継として選定した事が、翌日の池田のマッカーサーへの返答で判明している。[89]


CIAは、米国の諜報工作の中心であり、CIAの活動手段は、軍や官憲当局者を自分たちの手で育て、権力につかせ、始末したい人間が出てくるとその名を連中に知らせるというパターンである。また60年代以降の最盛時には、CIAは日本国内に100人以上という在外支局としては世界最大規模の要員を配属し、自民党や社会党議員、政府省庁職員、朝鮮総連幹部、左翼過激派、商社員や政府民間、与野党、在日、右翼や左翼勢力に到るまで広範に定期的に報酬を渡して秘密の情報提供者としてきたことも発覚している[90]。


その元長官 ウィリアム・E・コルビーは1978年発表の著書『栄光の男たち コルビー元CIA長官回顧録』で以下の如く対米従属化の為の諜報工作に関してこう証言 している。[91]


これらの活動で根本的に重要なことは秘密保持である。米国政府が支援しているとの証拠がでては絶対にいけない。そのため、金にせよ、単なるアドバイスにせよ、援助はCIAとなんの関係もなく、米国大使館とも関係のない第三者を通じて渡された。
— ウィリアム・E・コルビー『栄光の男たち コルビー元CIA長官回顧録』

File Photo: Contras in 1987. © Tiomono
File Photo: Contras in 1987. © Tiomono

さらに著名な事例の一つとしては、レーガン政権は、通称イラン・コントラ事件で、1984年のボーランド修正法で禁止されたニカラグア政府転覆の為のCIA秘密作戦への税金使用を違法にも無視し、1986年同法が失効するまでイランへの武器売却による数百万ドルを、活動資金として巧妙に仲介人を通して、元ソモサ政権の敗残兵達をホンジュラスにあるCIA基地で訓練し、ニカラグアへ送り込んだ非土着の従米反政府テロ組織であり、1980年代に何千人ものニカラグア農民を虐殺したコントラに渡していた[92]。


File Photo: US Panama invasion in 1989. Image: Wikimedia=Wikipedia
File Photo: US Panama invasion in 1989. Image: Wikimedia=Wikipedia

さらに、1989年の米国のパナマ侵攻では、米海兵隊2万6千人が深夜にパナマを奇襲し、数千人の被害者を出したが、この目的であるマヌエル・ノリエガは、CIAの支援を受けた米国の傀儡だった。1960年代以来彼は、CIA から給料を受け取り、ジョージ・H・W・ブッシュは1976年にCIA長官になった際、フォード大統領時代からの CIA工作員であるマヌエル・ノリエガを引き継いだ。ジョージ・H・W・ブッシュは、麻薬取引の証拠のあるマヌエル・ノリエガの年俸を10万ドル以上引き上げ、パナマ報告から麻薬取引に関する要件を削除した。後に彼は1983年CIAの協力でパナマ軍総司令官になった。それから彼は、イスラエルとCIAの武器商人、軍産複合体と組んで兵器供給ネットワークを構築し、コスタリカ北部のコントラに供給した。しかし、岸信介やオマル・トリホスやスハルトなど他のCIA工作員となった傀儡政権が対米自立へと変節した事例のように、マヌエル・ノリエガも中米での米国の軍事行動に非協力的になっていった。1984年には彼は、コンタドラ平和会議で中米諸国の首脳を招いて中米への米国の軍事介入終結を呼びかけた。これが、レーガン政権を憤激させ侵攻へと繋がったのである[93]


対米協力者の養成機関としては、先述の1946年に米国によりパナマで開校されたアメリカ陸軍米州学校(U.S.ARMY School Of Americas; SOA)が有名であり、1984年に米国内のジョージア州フォートベニング陸軍基地に移転し、2001年の改名後は現在の西半球安全保障協力研究所に該当する。ここだけではなく他にもパナマ米軍基地やコスタリカ米軍基地などCIAの海外協力者の養成機関があり、反対米従属派への拷問技術はCIAの開発指導によることが以下の1998年のニューヨーク・タイムズによるホンジュラスでの米国関与の拷問と暗殺の調査結果に関する証言から分かる。


ホンジュラスの悪名高い残虐な3-16部隊の取調官フロレンス・カバレロは、ニューヨーク・タイムズにこう言った。彼と24人の彼の同僚はテキサスへ連れていかれCIAに訓練された。『彼らは我々に囚人の恐怖と弱点を知る為の心理的方法を教えた。彼を起き上がらせ、彼を眠らせず、彼を裸にしたまま孤立させ、ねずみやゴキブリを彼の独房に置き、悪い食物を彼に与え、動物の死骸を彼に給仕し、冷水を彼に浴びせ、温度を変える。』ここには、彼が言及できていないもう一つの技術があった。それは電気ショックである。


3-16部隊の取調官フロレンス・カバレロ[94]


なおCIAによる対米協力者の養成政策の歴史的傾向としては、ナオミ・クラインは70年代以降アメリカの工作員によって好まれたのは彼ら自身が直接の現地での実行者になるのではなく、あくまで海外の現地対米協力者の 助言者や訓練者になることであると指摘している[95]。例えば、スハルト政権の経済学者達を養成したインドネシアのフォード基金(en:Ford Foundation)が著名である。


1974年のインドネシアで国家主義者らが自国の経済に対する外国による秘密破壊工作への反乱 を起こした。フォード基金は民衆の憤慨の対象となった。その基金は、多くが指摘するよう に、スハルトの経済学者らを養成しインドネシアのオイルや天然資源を西洋の多国籍企業に売り渡したからである。


— ナオミ・クライン[96]


外交


日本は第二次世界大戦終結後に外交政策の根本的転換を行い、第二次世界大戦以前の覇権主義・帝国主義・侵略戦争・軍事介入政策を破棄し、諸外国との相互理解・友好・共生・共栄関係の形成を遂行してきた。それに対しアメリカ合衆国は一貫して覇権主義・帝国主義的で、主として中南米、東アジア、西アジアで侵略戦争や軍事介入や諜報活動や傀儡政権支援などを活発に繰りひろげてきた。


特に2003年のイラク戦争では、開戦第一の理由であったイラクの大量破壊兵器は一切見つからず、完全な誤りであったことをジョージ・W・ブッシュ大統領自身が認めた。日本の政治評論 家孫崎享は、2012年8月10日公刊の著書「戦後史の正体 1945-2012』で戦後日本の内政及び外交の本質を分析総括して以下の如く見解を表明している。


戦後日本外交は、米国に対する「追随」路線と「自主」路線の戦いでした。
— 孫崎享『戦後史の正体 1945-2012』[97]

2013年11月2日のニューヨーク・タイムズで同盟国たる日本をも経済、外交、技術革新の三分野で盗聴していることがスノーデンの公開文書で発覚したアメリカ国家安全保障局では、具体的に米国の外交的優越性を保持する為のスパイ工作の任務であるK.任務で、中国やロシアと並んで同盟国であるはずの日本もそのスパイ工作対象国のリストに挙げられていることがこれで証明された[98]。


(S//SI) K.任務:外交(諸国家及び複数国の機関を含む): 米国の外交的優越性の保持。対象地域:米国の国家安全の利益に影響を著しく与える国家機関及び多国籍機関の地位、目的、プログラム、そして行動:中国、ロシア、フランス、ドイツ、日本、イラン、イスラエル、サウジアラビア、北朝鮮、アフガニスタン、イラク、国連、ベネズエラ、シリア、トルコ、メキシコ、韓国、インド、そしてパキスタン。 受容可能なリスク:台湾
— アメリカ国家安全保障局『文書のみせる米国の敵国及び同盟国をスパイするN.S.A.の努力』より[99]

対パレスチナ政策


日本は第二次世界大戦終結後は政府も民間もパレスチナとアラブ諸国と友好関係を継続してきた[100]。


アメリカ合衆国政府は1947年11月のパレスチナ分割決議、1948年5月のイスラエル建国と国連への加盟を支援し、1948年の第一次中東戦争、1956年の第二次中東戦争、1967年の第三次中東戦争の結果、イスラエルがヨルダン川西岸地区、エルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原を占領し、占領地として統治することを正当化してきた。


その後の歴代のアメリカ合衆国政府は、1956年にシナイ半島のエジプトへの返還とイスラエルの撤退、1978年9月のキャンプ・デービッド合意と1979年3月のエジプト・イスラエル平和条約、1982年にシナイ半島のエジプトへの返還、1992年に 中東和平マドリッド会議を開催し、1994年10月のイスラエル・ヨルダン平和条約を仲介したが、1947年のパレスチナ分割、1948年のイスラエル建国以来、歴代のアメリカ合衆国議会・政府は、イスラエルの存続を優先する立場に基づいてパレスチナ問題を解決する政策を遂行している。


日本政治研究の第一人者である政治学者のカレル・ヴァン・ウォルフレンは、孫崎享との対談で、70年代の日本の対パレスチナ外交を総括してこう述べている。 [101]


ウォルフレン: 70年代の外務省には気概を持った人も確かに多かった。政策面でもアメリカとは一線を画していましたよ。


孫崎:そうなんです。第二次オイル・ショック最中の1981年には、外務省はアラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長(1996年から2004年まで パレスチナ初代大統領)の初来日も実現させました。アメリカがイスラエルとの関係に気を遣い、パレスチナと距離を置いていた頃の話です。アラファト来日が象徴するように、当時の日本は、アメリカに完全に追従していたわけではなかった。だから私のような自主独立派であっても、外務省に居場所があったのです。


— カレル・ヴァン・ウォルフレンと孫崎享『独立の思考』


対キューバ政策


日本は第二次世界大戦終結後は政府も民間もキューバと友好関係を継続してきた。キューバミサイル危機の時、アメリカ合衆国政府は日本政府に対してキューバに対する国交断絶を要求したが日本政府は拒否した[102]。


アメリカ合衆国は1902年にキューバが独立した後も傀儡政権を背後から操ってキューバを間接支配してきたが、1959年のキューバ革命で傀儡政権が打倒され革命政府が樹立された。カストロ政権はバチスタ政権時代の従属的関係から対等互恵の国家関係の形成を求めたが、アメリカ合衆国政府はカストロ政権の要求を拒否して1961年1月にキューバと国交断絶した。


アメリカ合衆国政府は、カストロ政権を打倒し傀儡政権を再樹立し間接支配を復活するために、亡命キューバ人に武器と資金を供給して軍事訓練を行い、1961年4月に亡命キューバ人武装勢力をキューバに侵攻させたが作戦は失敗し、1961年4月にキューバに経済制裁・貿易封鎖を実行した。アメリカ合衆国政府はその後も1962年10月までキューバに対して武力行使を繰り返したがカストロ政権を打倒できず、アメリカ合衆国政府に政権を打倒されると危機を感じたカストロはソ連に支援を求め、1962年10月にキューバミサイル危機が発生し、米ソ核戦争の危機になったがソ連が譲歩してミサイル基地の撤去に応じて戦争は回避された。アメリカ合衆国政府はその後もカストロ政権転覆工作やカストロ暗殺工作を繰り返し、政権転覆や暗殺を恐れたカストロが、キューバと自分を守るために、ケネディ大統領暗殺作戦を遂行したと推測されている[87]。


上述のケネディ政権と軍部による一連のキューバ侵攻時の謀略計画機密文書が2001年4月30日にジョージ・ワシントン大学公文書館のサイトで公開された。これにより、米国軍部による他国への政権転覆、軍事紛争誘発への謀略の実態が証明されたのである。孫崎享は、米国の謀略の存在に関しこう指摘している。


......米国はできるだけ、農水省や経産省といった省にではなく、首相の下に諮問機関を作らせ、そこに権限を集中させようとします。そうすれば圧力をかける手間が少なくてすむからです。こうした事実を現場で実際に体験していないと、「それは陰謀論だろう」などと安易に言ってしまう事になります。しかし、少しでも歴史の勉強をすると、国際政治のかなりの部分が謀略によって動いていることが分かります。日本も戦前、中国大陸では数々の謀略をしかけていますし、米国もベトナム戦争でトンキン湾事件という謀略をしかけ、北爆[北ベトナムへの空爆]の口実としたことがあきらかになっています。もっとひどい例としては、米国の軍部がケネディ政権時代、「自国の船」を撃沈するなど、偽のテロ活動を行って、それを理由にキューバへ侵攻する計画を却下したので実行はされませんでしたが、当時の参謀本部議長のサインが入った関連文書を、ジョージ・ワシントン大学公文書館のサイト([103])でみることができます。学者や評論家がそうした事実を知らないまま国際政治を語っているのは、おそらく日本だけでしょう。[104]


— 孫崎享『戦後史の正体』


2010年現在も、歴代のアメリカ合衆国議会と政府はキューバに対して国交断絶・経済制裁を遂行している[105]。 国連総会は1992年 - 2007年の16年連続で、アメリカ合衆国のキューバに対する経済制裁の終結を求める決議を、日本も含めて賛成多数で毎年採択しているが、アメリカ合衆国は毎年反対投票している。2007年度は賛成は184か国、反対は4か国(アメリカ合衆国、イスラエル、マーシャル諸島、パラオ)、棄権は1か国(ミクロネシア)で採択された[106]。


対ベトナム政策


日本は第二次世界大戦中はベトナムを侵略し、明号作戦で1945年3月9日にフランスを敗りフランス領インドシナを解体した。第二次世界大戦終結後 はベトナムと友好関係を確立し、1959年に南ベトナム、1973年に北ベトナム、ベトナム戦争が終結した翌年の1976年以後は統一ベトナムと外交関係を維持してきた[107]。


1954年にベトナム独立戦争が終結した後、ベトナムへの影響力を喪失した旧宗主国のフランスに代わり、アメリカ合衆国政府は南ベトナムに傀儡政 権を樹立して背後から操って間接支配を続けた。1960年にアメリカ合衆国の傀儡政権を打倒しベトナム人自身による統治を求める南ベトナム解放民 族戦線が南ベトナム政府軍に対する民族独立の武力闘争を開始した。1961年にアメリカ合衆国政府は南ベトナムにアメリカ合衆国軍を派遣し、傀儡 政権である南ベトナム政府を支援して、ベトナム戦争への軍事介入、南ベトナム解放戦線に対する掃討戦を開始した。1965年にアメリカ合衆国政府は北ベトナムに戦線を拡大し、ベトナムのみでなくベトコンが潜伏していたラオスやカンボジアも同時期に大規模爆撃した。CIAは、秘密戦争をタイ、ラオス、カンボジアで開始していた。中でも、米国内で秘密にされた米軍によるロン・ノル政権支援の為のカンボジアへの大爆撃は、この一国 に対してだけで第二次世界大戦での日本への爆撃総規模の三倍に達していた事も判明している。結局カンボジアの死者は60万人、ラオスでの米軍爆撃では35万人もの市民が殺害された。東南アジア専門のジャーナリスト山田寛は、ベトナム戦争期のカンボジアへの米軍の内戦介入の大爆撃がポル・ポト政権樹立というブローバック(en:Blowback_(intelligence))となった背景に関してこう述べている[108]。


ロン・ノル政権最大の頼りは米軍の爆撃だった。米国防省が発表した73年7月に公表したところでは、米軍は内戦開始の前年の69年3月から、カンボジア領内のベトナム共産軍の聖域に激しい秘密爆撃を行っていた。爆撃は、インドシナ軍事介入にうんざりした米議会がニクソン大統領の手を縛り、73年8月15日で停止されたが、4年5カ月の間にカンボジアに降り注いだ爆弾総量は、54万トン。第 二次世界大戦中に日本に投下された量の3倍である。うち26万トンは、73年2月からの半年間に集中した。この半年の爆撃はそれ以前

とは異なり、ロン・ノル政府軍支援のためだった。[109] 


—山田寛


米軍は北ベトナム軍と南ベトナム解放戦線との戦争を拡大したが、南ベトナム解放戦線を打倒することは出来なかった。1973年1月にアメリカ合衆国 政府は北ベトナム政府、南ベトナム解放戦線と和平協定を締結し、1973年3月にベトナムから敗退した。1975年4月に北ベトナム軍と南ベトナム民族解放戦線軍は南ベトナム政府を打倒し、1976年7月にベトナム統一国家が樹立された。これは戦争において連戦連勝だったアメリカ合衆国が相手を屈服させられなかった史上初の例である。ベトナム戦争は、米国が戦後謀略により仕掛けてきた典型的な戦争の事例であり、日本の政治経済学者の植草一秀は、米国の謀略による捏造事件であるトンキン湾事件を引き合いに出して尖閣問題でもこの種の謀略の危険性がある事を警告しつつこう分析している。[110]


1964年に本格化したベトナム戦争。その引き金を引いたのは、同年8月2日に米軍が北ベトナムから攻撃を受けたという情報でした。 この情報を受けてジョンソン大統領が北ベトナムへの報復攻撃を命令し、ベトナム戦争が泥沼化していきました。しかし、後にこの 事実が覆されます。1971年にニューヨーク・タイムズ紙が驚くべき真相を明らかにしたのです。その真相とは、米国側が戦線の行き詰まりを打破するために、意図的にトンキン湾に軍艦を侵入させて、北ベトナムの攻撃を誘発した、というものです。米国の謀略に

依ってベトナム戦争拡大が誘導されたのです。[111]。


— 植草一秀 『アベノリスク 日本を融解させる7つの大罪』


ベトナム戦争時、沖縄の在日米軍基地は米国によるベトナム及びインドシナ半島爆撃の主要な軍事的拠点となったことがチャルマーズ・ジョンソンによる研究で判明している。[112]

1965年、米国高官、米太平洋軍司令官グラント・シャープは米国は沖縄基地無しではベトナム戦争を戦えないと言明した。


— チャルマーズ・ジョンソン[113]


その後、アメリカ合衆国とベトナムは国交も経済交流も断絶していたが、1995年7月にアメリカ合衆国政府は、ベトナムと国交を樹立した。


対イラン政策


日本は第二次世界大戦終結後は政府も民間も、2010年時点で86%の原油を依存する日本にとって中東の最重要国家であり(米国は5%しか依存していない)、親日国家の一つ[114]とされるイランと友好関係を継続してきた。2006年度まで日本はイランの最大の輸出相手国だったが、中国がイランからの石油輸入を急激に増大しているので、2007年度以後はイランの最大の輸出相手国は日本を追い抜いた中国になったが、日本とイランが友好国であり重要な貿易相手国である状態は継続している[115][116][117]。


2011年12月に米国は、国防授権法を可決し、イランと取引のある外国銀行は米国の銀行と の取引が禁止された[118]。こうした西側の制裁と米国の日本への圧力下で、2012年の日本の対イラン石油輸入量削減幅は、過去最大の40%減の日量 18万9076バレルとなった。[119]


アメリカ合衆国政府はイラン国民自身によるイランの統治を追求したモサデグ政権を、アメリカ合衆国に協力する勢力を背後から支援して1953年に打倒し、パーレビ王政を支援してきたが、1979年のイスラム革命でパーレビ王政は打倒され革命政権が樹立された。革命政府がパーレビ王政時代の従属的関係から対等互恵の国家関係の形成、パーレビが私物化した財産の返還、パーレビの身柄引渡しを求めたが、アメリカ合衆国政府はイスラム革命政権の要求を拒否してイランの在米資産を接収し、イランに国交断絶と経済制裁を行った。その後も2013年現在に至るまで、アメリカ合衆国の 歴代の議会と政府はイランをテロ支援国家と認定して、核保有国の核使用独占体制であるNPT体制下での核査察、国交断絶や経済制裁を遂行してい る。そんな中、2003年以降のイランは核開発疑惑がもたれるようになり、米国主導の西側諸国、例えばイスラエルなどからも激しい制裁を受け続けている。


日本は、曾ては原油の総輸入量の10%以上をイランに依存して来たが、現在では米国の要請で大幅に減退させた。さらに、日本とイランは独自に共 同で、中東最大級のイランのアザデガン油田共同開発プロジェクトを推進してきたが、日本は米国の圧力でこの事業から完全撤退させられた。その結果、アザデガン油田の巨大利権は中国が獲得する形となった[120]。これに関連して、孫崎享はイラン大使経験者としてイラン側の観点を通して日 米外交観を、イラン元大統領ハーシェミー・ラフサンジャーニーの言葉を引用しながらこう分析している。


私はハタミの前任者であるハーシェミー・ラフサンジャーニー(イラン大統領。任期は1989-97)にこう言われたことがあるんです。 『アメリカは馬鹿だ。日本に圧力をかければ、漁夫の利を得るのは中国とロシアだけだ。アメリカと対立する中国とロシアの立場を 強くし、逆に同盟国である日本の立場を弱めてどうするのか』と。全くその通りだと思います。アメリカの外交とは、強力な軍事力 を背景にしたものです。だけど、それだけですべてがうまくいくわけではない。日本が得意としてきた平和的な国際協力によってこそ解決していく物事もあるわけです。そうした日本独自の外交は、長期的にはアメリカにも利益をもたらします。本来であれば、日本を後押しすべきなのに、アメリカはそこを理解していません[121]


— 孫崎享『独立の思考』


また元米国司法長官ラムゼー・クラークは、米国のイラン・イラク戦争における外交の裏側から米国の対外政策全般の本質を指摘している。


イラン・イラク戦争では何百万という若者が命を落とした。この8年戦争が始まった時ヘンリー・キッシンジャーはこう言った。 『彼らが互いに殺し合ってしまえばいい。』これはまさしくアメリカの方針だった。両国が殺し合ってくれれば、それに超したことはない。そうすればあの地域のことは心配しなくていいからね。まさにこれが我が国の政策なのだ。
— ラムゼー・クラーク [122]

対シリア政策


日本は1953年にシリアと国交を樹立して以後は政府も民間もシリアと友好関係を継続してきた。アメリカ合衆国はシリアが1990年の湾岸戦争で多国籍軍に参加し、1991年にアメリカ合衆国政府が主催した中途和平マドリッド会議以後、アメリカ 合衆国政府が提案する中東和平プロセスを支持し、アメリカ合衆国政府が主導した国連安保理決議に基づいて2005年にレバノンから軍を撤退させた が、アメリカ合衆国政府はシリアがレバノンに軍を進駐させた1976年当時からシリアをテロ支援国家と認定し、2004年以後は経済制裁を実施し、

2005年以後は在シリア大使を帰国させている[123]。


2013年9月5日に米国の上院外交委員会はシリアの化学兵器使用を理由に軍事行動を承認したが、議会承認なきまま米軍はシリア侵攻の攻撃態勢に入っていた[124][125][126]。しかし、同年9月9日にプーチン政権は米国によるシリア侵攻を回避するべくロシアのセルゲイ・ラブロフ外相を通してシリアの化学兵器を国際管理下に置き、シリアの化学兵器禁止条約批准を提案した[127]。


そして、9月12日にシリアのアサド大統領はさらに批准後の一ヶ月後に化学兵器情報を提供することにも同意し[128]、9月13日には米国オバマ政権とロシアのプーチン政権がこのロシア案に合意し、シリア戦争は回避された[129]。


9月27日の国際連合安全保障理事会によるシリアの化学兵器廃棄のための安保理決議案により化学兵器禁止機関による査察が同30日から開始し[130]、シリアが化学兵器禁止条約の正式な加盟国に10月14日よりなった[131]。そして、10月31日、化学兵器禁止機関は、シリア国内の化学兵器生産施設の廃棄が完了し、シリア戦争は完全に回避された[132]。


このシリア戦争の危機に際し、安倍政権は米国のシリア侵攻に反対を表明せず、石破茂自民党幹事長はシリア側の化学兵器使用の確証ないままに「(米国から)説明を受け、国民に説明できるのであれば時を置かずに支持することが必要だ。」と発言し[133]、菅官房長官は8月29日の記者会見で、シリア政府による化学兵器を使用の根拠を問われ「さまざまな具体的情報が あるが、関係国とのやり取りなので控える」と米国側の根拠が依然国民に不明となる曖昧な態度表明の上で、尚シリアの化学兵器使用を非難している[134]。


このようにシリア戦争の危機に際しても日本政府は基本的に対米追随の立場を採ったのである。 日本の政治経済学者の植草一秀は、第二次世界大戦から現在までの米国の対外侵略戦争の歴史的系譜を分析して、しばしば米国と同一視される軍産複合体のシリア戦争計画挫折の意義をこう総括している。


米国において、戦争は必然に依って発生していない。必然ではなく人為によって発生している。第二次世界大戦終了以降、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争、湾岸紛争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争と10年ないし15年に一度、巨大戦争が仕掛けら れて来た。2003年にイラク戦争が行われてから、すでに10年の時間が経過した。


米国の軍産複合体は、ある程度の規模の戦争が創作されなければ、維持不能である。2013年のシリア攻撃のプランは、この事情によって創作されたものだと思われる。しか し、米国の思惑は封殺されてしまった。イラク戦争の教訓を踏まえて賢明になった国際世論が米国の暴走を食い止めた。米国の軍産複合体が切望する戦争実現が阻止された。この為、米国は2014年に新たな戦争を創作しようとするだろう。有力候補地は引き続き中東である[135]。


— 植草一秀『日本経済撃墜 -恐怖の政策逆噴射』


対リビア政策


日本は1957年にリビアと国交を樹立して以後は政府も民間もリビアと友好関係を継続してきた。 1969年9月1日、ムアンマル・アル=カッザーフィー (カダフィ)と同志の青年将校たちによるクーデターにより、トルコに滞在中だった国王イドリース1世は退位し、カダフィを事実上の元首とする直 接民主制の共和国が成立した。


同国はカダフィが著した『緑の書』に基づく独自の社会主義国家を建設を目指し、対外的にはソビエト連邦に援助を受け、国民の5分の1を公務員としカッザーファ族同族による独裁的支配を実施したが、それ以前の王政による腐敗した権力を打倒し、石油産業を国有化し経済を発展させ、その利益を国民に還元し、教育や女性解放運動に注力し、リビアをアフリカでも豊かな国の一つにし、部族間対立を押さえ40年以上も統治してきた。


しかしアメリカ合衆国の1986年のリビア爆撃以後、リビアはその報復として1988年にパンナム機を爆破(パンアメリカン航空103便爆破事件)した。そして米国はリビアに対して外交関係を停止し、経済制裁を実施してきたが、リビア政府が旅客機爆破事件の被疑者の 身柄の引渡しと賠償金の支払いを表明し、大量破壊兵器の破棄を表明したので、2004年に経済制裁を解除し、2006年にテロ支援子国家の指定を解除し外交関係を復活した[136]。


米国が反テロ戦争のレトリックの下で惨事便乗型資本主義を実施したアフガン戦争とイラク戦争についでNATO(北大西 洋条約機構)を利用して軍事介入した2011年リビア内戦では、米国の支持するリビア国民評議会とアフリカ連合の脱ドル支配体制を目指したカダフィ政権側との戦争となった。同年8月23日にはリビア国民評議会軍が首都トリポリを陥落し、同10月20日にはカダフィがスルト(シルト)で射殺され、42年間続いたカダフィ政権は崩壊した。


2012年7月7日には、同国の60年ぶりに行われた国民全体会議選挙(定数200)で、120議席が無所属に、 80議席が政党に配分された。国民勢力連合が39議席、ムスリム同胞団系の公正建設党が17議席、残りの議席は各中小政党が獲得する形となった。国民評議会は同年8月8日に権限を全体国民会議に移譲し解散した[137]。今後は、選挙によって選ばれた議員で構成された議会に承認された内閣が行政権を継承し、そしてこの議会が制憲議会としてリビアの新憲法を制定し、1年以内の正式政府発足を目指して[138]統治機構を調えることとなる。


しかし、米国の軍事介入へのブローバックは止まず、同年9月11日には米領事館襲撃事件が発生し、J・クリストファー・スティーブンス大使はじめ関係者4人が死亡するなど、アフガンやイラクの先例と同様未だ国内は内戦以来の不安定な情勢が続いている。 同年9月12日、リビア全体国民会議は、ムスタファー・アブーシャーグールを首相に指名したが期限内に組閣を果たせず、首相不信任案を可決し解任。リビア国民評議会時代の暫定首相であるアブドゥルラヒム・アル・キーブが引き続き暫定政権を同年11月14日まで率いた[139]。10月14日、国民議会は元外交官のアリー・ゼイダー ンを首相に選出した[140]。そして、同年11月14日からは、議会の承認によりアリー・ゼイダーンが現在までのリビア首相を務め政権運営に当たっている。


軍事


核兵器廃絶


核兵器廃絶を推進する諸国(日本も含む)の政府は、1994年~2008年の15年連続、国連総会で核兵器廃絶決議を提案し、賛成多数で毎年採択されている。2008年度は59か国が共同提案国になり、賛成は史上最多の173か国、反対は4か国(アメリカ合衆国、インド、朝鮮民主主義人民共和国、イスラエル)、棄権は6か国(中華人民共和国、イラン、ミャンマー、パキスタン、キューバ、ブータン)である[141][142]。


包括的核実験禁止条約


日本は包括的核実験禁止条約[143]に1996年9月に署名、1997年7月に批准している。アメリカ合衆国政府は1996年9月に包括的核実験禁止条約に署名したが、議会上院は軍事的な選択が制限されると認識し、軍事的な選択の多様性を保持する考えで未批准である[144]。


対人地雷禁止条約


日本は対人地雷禁止条約[145]に1997年12月に署名、1998年3月に批准している。アメリカ合衆国政府は対人地雷禁止条約は軍事的な選択が制限されると認識し、軍事的な選択の多様性を保持する考えで未署名である[146]。


クラスター弾に関する条約


日本は2007~2008年に開催されたクラスター爆弾の禁止を求める国際会議において、標的識別機能と自爆機能を持つ形式を例外として、それ以外の形式のクラスター爆弾の開発・製造・保有・移転・使用を禁止し、保有しているクラスター爆弾を8年以内に破棄することを規定した規制案に対して、2008年5月に他の109か国とともに参加国の全会一致で賛成し、採択を成立させた。日本政府は2008年の12月に開催されたクラスター弾に関する条約の署名式で署名し[147]、2009年度の通常国会で批准した[148][149]。


アメリカ合衆国はロシア、中国、韓国、北朝鮮とともに会議に参加せず、クラスター爆弾の保有継続を表明している。


憲法九条


日本は日本国憲法制定後は、憲法が規定する国際平和を追求する政策を遂行し、軍事力は国民と領土・領海・領空の自衛のために限定して保有し、 GDPに対する軍事費の比率も1%以内を維持している。アメリカ合衆国議会・政府は日本に対して、自衛目的以外の侵略戦争・軍事介入を容認すように日本国憲法第9条を変え、対外作戦遂行能力を持つ軍事力を保有し、アメリカ合衆国の軍事作戦に協力するよう期待しているが、第二次世界大戦後の歴代の日本の議会と政府は、そのような期待に応じず拒否している。


人権


アメリカ合衆国は米州機構本部国でありながら米州人権条約を批准していない。


国際刑事裁判所条約


日本は国際刑事裁判所条約[150]に2007年7月に署名・批准した。 アメリカ合衆国政府は2000年12月に同条約に署名したが、議会上院はアメリカ軍軍人が訴追されることを拒否して未批准である。特にジョージ・H・W・ブッシュ政権は2001年、署名を撤回すると表明した[151]。アメリカ合衆国政府は2001年以後、国際刑事裁判所条約の加盟国に対して、アメリ カ合衆国軍の軍人を国際刑事裁判所に対して不訴追にする条約の締結を働きかけ、経済的に貧しい国の中には、アメリカ合衆国からの経済援助を受けて、アメリカ合衆国軍の兵士を国際刑事裁判所に対して不訴追にする条約を締結している国もある。日本は経済的に豊かな諸国、国際協調を重視する諸国とともに、アメリカ合衆国軍の軍人を国際刑事裁判所に対して不訴追にする条約の締結を求めるアメリカ合衆国政府からの働きかけを拒否している。


経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約


日本は経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約に、1978年5月に署名、1979年6月に批准した[152]。 アメリカ合衆国政府は1977年10月に経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約に署名したが、議会上院は国内法が条約に制限されることを拒否して未批准である。


女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約

日本は女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約に、1980年7月に署名、1985年6月に批准した[153]。 アメリカ合衆国政府は1980年7月に女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約に署名したが、議会上院は国内法が条約に制約されることを拒否して未批准である。


児童の権利に関する条約


日本は児童の権利に関する条約に、1990年9月に署名、1994年4月に批准した[154]。 アメリカ合衆国政府は1995年2月に児童の権利に関する条約に署名したが、議会上院は国内法が条約に制限されることを拒否して未批准である。


難民の地位に関する条約


日本は難民の地位に関する条約の締約国であるが、難民の受け入れには消極的であり、難民受け入れの実績は少ない[155]。 アメリカ合衆国は難民の地位に関する条約の締約国であり、植民者が建国し、移民の受け入れを継続・増大させてきた実績[156]があり、第二次世界大戦時も第二次世界大戦後も難民の受け入れに積極的であり、世界の諸国の中でも主要な難民受入国の一つである。


死刑


日米両国は死刑制度の存在・実施国(2009年現在、アメリカ合衆国は連邦・軍・36州の法律に死刑が有り、15州・1特別区・2自治領の法律に死刑は無い)である。


日本では死刑廃止の意見が国民と国会議員の間で多数派となっていないが、1990~1992年は死刑を執行しなかった。 アメリカ合衆国では1972年に連邦最高裁が死刑はアメリカ合州国憲法[157][158]の修正第8条に反する違憲であると判断して、全米で死刑の執行が停止

され、1976年に連邦最高裁が死刑は合憲と判断を変更し、1977年に死刑執行が再開されるまで死刑は執行されなかった。1979年以後は毎年死刑を執行[159]している。


環境生物多様性条約


日本は生物多様性条約に[160]、1992年6月に署名し、1993年5月に批准した。

アメリカ合衆国政府は1993年6月に生物多様性条約に署名したが、議会上院はアメリカ合衆国のバイオテクノロジー企業の特許権やその他の知的所有権の利益が制限されると認識し、アメリカ合衆国のバイオテクノロジー企業の国際競争力の覇権主義的な競争優位を守るという考えで未批准である[161]。


京都議定書


日本は温暖化対策のための気候変動枠組条約の下部規定である京都議定書[162]、に1998年4月に署名し、2002年6月に批准した。


アメリカ合衆国政府は1998年12月に京都議定書に署名したが議会上院はアメリカ合衆国の企業の経営や利益が制限されると認識して未批准である。 アメリカ合衆国政府は2001年に京都議定書への署名を撤回すると表明した。日本は京都議定書以後の温暖化予防の国際的な政策連携に中国やアメリカ合衆国の参加を促すため、議会・政府間の交渉および民間レベルで働きかけをおこなっている。


捕鯨


日本は商業捕鯨の再開と調査捕鯨の継続を主張している。

アメリカ合衆国は過去には商業捕鯨実施国だったが、1972年以後は国際捕鯨委員会の捕鯨反対の主要国として、商業捕鯨の再開反対・禁止継続と調査捕鯨の制限を主張している。


日本の対外経済関係


日本の対外経済関係がアメリカ合衆国に対して過剰な依存をしているという認識は、日本政府が公開している対外経済統計と国際機関(国連、国際通貨基金、世界銀行など)が公開している世界の経済統計を参照する限りには事実ではなく誤認であると言うこともできる。


2008年の為替レートベースの世界のGDPは60兆6869億USドル[163]、アメリカ合衆国のGDPは14兆2646億USドル[164]で世界シェアは23.5%、日本の GDPは4兆9237億USドル[165]で世界シェアは8.1%、世界のGDPから日本のGDPを除いたGDPに対するアメリカ合衆国のGDPのシェアは25.5%である。


1990~2008年の間に日本の輸出に対するアメリカ合衆国のシェアは31.5%から17.6%に減少、中国のシェアは2.1%から16.0%に増大、輸入に対するアメリカ合衆国のシェアは22.3%から10.2%に減少、中国のシェアは5.1%から18.8%に増大した[166]。1990~2008年の間に日本の輸出に対する北米のシェアは33.8%から18.9%に減少、アジアのシェアは31.1%から49.3%に増大、輸入に対する北米のシェアは26.1%から11.9%に減少、アジアのシェアは28.7%から40.6%に増大した。2008年の日本の輸出・輸入に対するアメリカ合衆国のシェアは、2008年の世界のGDPから日本のGDPを除いたアメリカ合衆国のGDPのシェアである25.5%より低いので、あくまでも世界の経済統計を参照する限りには日本の対外経済関係はアメリカ合衆国に対して過剰な依存はしていないと言う事もできる。


アメリカ合衆国の債券発行残高と日本の保有率

2008年6月時点のアメリカ合衆国の債券の発行残高と日本の保有率は次に記載するとおりである[167]。 財務省の長期債券(米国債)発行残高は2兆2106億5900万ドルで、そのうち、日本の保有額は5681億5900万ドルでシェアは25.7%、中国の保有額は5219億1200万ドルでシェアは23.6%である。 政府機関の長期債券(公債)発行残高は1兆4636億8600万ドルで、そのうち、日本の保有額は2696億2400万ドルでシェアは18.4%、中国の保有額は5270億5300万ドルでシェアは36.0%である。 企業の長期債権発行残高は2兆8196億8600万ドルで、そのうち、日本の保有額は1483億8600万ドルでシェアは5.3%である、中国の保有額は262億8500

万ドルでシェアは0.9%である。


財務省と政府機関と企業の長期債券発行残高の合計は6兆4940億3100万ドルで、そのうち、日本の保有額は9861億6800万ドルでシェアは15.2%、中国企業の株式発行残高は2兆9692億8800万ドルで、そのうち、日本の保有額は1986億4500万ドルでシェアは6.7%、中国の保有額は995億4800万ドルで シェアは3.4%である。


財務省と政府機関と企業の長期債券発行残高と企業の株式発行残高の合計は9兆4633億1900万ドルで、そのうち、日本の保有額は1兆1848億1300万ド ルでシェアは12.5%、中国の保有額は1兆1747億9800万ドルでシェアは12.4%である。


財務省と政府機関と企業の長期+短期の債券発行残高と企業の株式発行残高の合計は10兆3217億4900万ドルで、そのうち、日本の保有額は1兆2504億 1500万ドルでシェアは12.5%、中国の保有額は1兆2050億8000万ドルでシェアは11.7%である。


日本がアメリカ合衆国の債券を過剰に購入・保有しているという認識は、アメリカ合衆国政府機関が公開している債券保有者統計と国際機関(国連、国際通貨基金、世界銀行など)が公開している世界の経済統計を参照する限りには事実ではなく誤認であると言うこともできる。


2008年6月30日現在のアメリカ合衆国の長期+短期の債券発行残高に対する日本の保有率12.5%は、2008年度の世界のGDPからアメリカ合衆国のGDPを除いたGDPに対する日本のGDPのシェアである10.6%と比較すると1.9%大きいが近似値である。


2008年6月30日現在のアメリカ合衆国の長期+短期の債券発行残高に対する中国の保有率11.7%は、2008年度の世界のGDPからアメリカ合衆国のGDPを除いたGDPに対する中国のGDP[168]のシェアである9.5%と比 較すると2.2%大きいが近似値である。


2008年度の為替レートベースのGDPが世界で2位の日本や3位の中国は、自国の経済力以上にアメリカ合衆国の長期+短期の債券を過剰に保有しているのではなく、自国の経済力のシェアに応じて債権を保有していると見ることもできる。


日本の企業がアメリカ合衆国の企業・事業を買収した事例


対米従属に反対する人々の中には、日本とアメリカ合衆国との経済関係は、日本がアメリカ合衆国に一方的に搾取され収奪される関係であると認している人が存在し、その具体的な事例として、アメリカ合衆国政府が日本政府に対して要求している、日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく、日本国政府への米国政府要望書(通称は年次改革要望書)で日本から搾取収奪するための政策を日本政府に強要し、その具体的な事例として、日本国民の郵便貯金をアメリカ合衆国の金融機関が搾取収奪する手段として郵政民営化をしようとしていると指摘し、反対している。


先進国と先進国の経済関係においては、個々の国の全ての産業と主要な企業の国際競争力が、どちらか一国がもう一国と比較して一方的な強弱の関係ではなく、個々の国の個々の産業と主要な企業ごとに強弱・優劣があるので、どちらか一国がもう一国に対して一方的に収奪することは難しい。 先進国と開発途上国の関係においては、冷戦時代の開発途上国の中にはアメリカ合衆国が傀儡政権を操って間接支配していた国があり、そのような国では一方的な収奪が行なわれていた。


アメリカ合衆国の企業が日本の企業・事業を買収した事例


1998年 ゼネラル・エレクトリックが東邦生命を買収し、社名をGEエジソン生命に変更(現在はAIGエジソン生命保険)。 1998年 ゼネラル・エレクトリックがレイクを買収。 1998年 ゼネラル・エレクトリックが日本リースを買収。 1997年 メリルリンチが山一証券の店舗・事業を買収。

2000年 リップルウッド・ホールディングスが一時国有化されていた(旧日本長期信用銀行)を買収し新生銀行に改名。 2001年 リップルウッド・ホールディングスが当時のフェニックスリゾート(現在のフェニックス・シーガイア・リゾート)を買収。 2001年 リップルウッド・ホールディングスが当時の日本コロムビアを買収。 2001年 プルデンシャル・ファイナンシャルが旧共栄生命保険を買収し、社名をジブラルタ生命保険に変更。 2001年 アボット・ラボラトリーズがBASFから北陸製薬を買収。 2002年 リップルウッド・ホールディングスがディーアンドエムホールディングスを買収。 2003年 リップルウッド・ホールディングスが当時の日本テレコム(現在のソフトバンクテレコム)をボーダフォンから買収。 2003年 ゴールドマン・サックスが神戸メリケンパークオリエンタルホテル、なんばオリエンタルホテル、ホテルセントラーザ博多、新浦安オリエンタルホテルをダイエーから買収。 2004年 プルデンシャル生命保険があおば生命保険(旧日産生命保険)を買収。 2004年 モルガン・スタンレーが新神戸オリエンタルホテルをダイエーから買収。 2004年 コロニー・キャピタルがホークスタウンをダイエーから買収。 2004年 カーライル・グループがウィルコムを買収。 2005年 ウォルマートが西友を買収。 2006年 カーライル・グループが東芝セラミックスを買収し、社名をコバレントマテリアルに変更。 2007年 モルガン・スタンレーがIHG・ANAホテルズ・グループを買収。 2007年 シティグループが当時の日興コーディアルグループ(現在の日興シティホールディングス)を買収。 2008年 サーベラス・キャピタル・マネジメントがあおぞら銀行(旧日本債券信用銀行)を買収。


日本の企業がアメリカ合衆国の企業・事業を買収した事例

「バブル景気」も参照


1984年 当時の三菱銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)がバンク・オブ・カリフォルニアを買収。 1988年 当時の東京銀行が(現在の三菱東京UFJ銀行)ユニオンバンクを買収。 1989年 三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンターを買収。 1989年 ソニーが当時のコロンビア・ピクチャーズを買収し、社名をソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントに変更。 1990年当時の松下電器(現在のパナソニック)がミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカを買収。

1991年 イトーヨーカドーがサウスランド(現在のen:7-Eleven Inc.)を買収。保有額は1兆0752億5000万ドルでシェアは16.6%である。

1992年 住友商事がCantexを買収。 1996年 日本電気がパッカードベルを買収。 1997年 大正製薬がプロクター・アンド・ギャンブルのコーラック事業を買収。 1998年 杏林製薬がプロクター・アンド・ギャンブルのミルトン事業を買収。 2000年 ブーツ・ヘルスケア・ジャパンがプロクター・アンド・ギャンブルのクレアラシル事業を買収。 2000年 日立製作所がIBMのハードディスク事業を買収。 2002年 大正製薬がプロクター・アンド・ギャンブルのヴィックス事業を買収。 2002年 伊藤忠商事がエキサイトの日本法人を買収。 2002年 楽天がライコスの日本法人を買収。 2003年 楽天がインフォシークの日本法人を買収。 2006年 東芝がBritish Nuclear Fuels(BNFL)からウエスチングハウス・エレクトリックの商業用原子力発電事業を買収。 2006年 三菱商事がエイボン・オートモーティブを買収。 2006年 三井物産がSunWize Technologiesを買収。 2007年 三井物産がEllison Technologiesを買収。 2007年 三井物産がスチール・テクノロジーを買収。 2007年 三菱商事がFGDIを買収。 2007年 伊藤忠商事がSolar Depotを買収。 2007年 リコーがIBMのデジタル印刷事業を買収。 2007年 日本電気がSphere Communicationsを買収。 2007年 富士通がOkereを買収。 2007年 第一三共がアジェンシスを買収。 2007年 大王製紙がプロクター・アンド・ギャンブルのアテント事業を買収。 2008年 エーザイがMorphotekを買収。 2008年 エーザイがMGI Pharmaを買収。 2008年 塩野義製薬がサイエル・ファーマを買収。 2008年 リコーがアイコンオフィスソリューションズを買収。 2008年 武田薬品工業がミレニアム・ファーマシューティカルズを買収。 2008年 野村ホールディングスがリーマン・ブラザーズのアジア・太平洋地域の事業、ヨーロッパ・中東地域の事業を買収。 2009年塩野義製薬がビクトリー・ファーマを買収。 2009年 武田薬品工業がIDMファーマを買収。


米軍に対する意見


日本がアメリカ合衆国と軍事同盟を締結し、アメリカ軍に基地を提供し、 在日米軍の存在を容認していること、また思いやり予算で管理費用を負担し、その行動を“特例法”で国内法の適用対象外としていることは対米従属であるとの意見を持っている人々も多く存在する(琉球新報は社説で“対米卑屈”と喝破した[169])。 また日本とアメリカの軍事同盟締結のアメリカ合衆国側の事情としては、日本が核攻撃を受けても、アメリカ自身が核攻撃される危険を犯してまで報復核攻撃はしないと、ヘンリー・キッシンジャーなどの複数の米国政府元要人や学者が述べている。

自由民主主義社会・資本主義国家の主導国として、冷戦に勝利することを追求していた。 冷戦に勝利するためには多種多様な分野で有力な同盟国ができるだけ多く必要だった。 日本は政治・軍事・経済・産業・科学・技術、その他の多種多様な分野で有力な同盟相手国だった。 日本はソ連領、中国領の東岸の列島が領土・領海であり、ソ連と中国を牽制する地政学上の要所であるといったことがあった。 だが、もし日本、アメリカ合衆国、ロシア、中国、世界の情勢が変化し、日米両国の国民や議会の多数意見が、日米の軍事同盟は必要ないとの認識に変わるなら、日米の少なくともどちらか一方が日米安全保障条約の破棄を通告すれば、日米安全保障条約は1年後に解消される[170]。 フィリピンの米軍基地はフィリピン政府の都合で1992年に閉鎖になり、アイスランドの米軍基地はアメリカ合衆国政府の都合で2006年に閉鎖になった。


自衛隊の国外派遣


自衛隊海外派遣は1991年にペルシャ湾に機雷の掃海に派遣されて以来、復興支援活動、国際連合平和維持活動、難民救援活動、国際緊急援助活動、 海上警備行動に基づく海賊対策などの目的で国外派遣の実績を積み重ねてきた。自衛隊イラク派遣では死傷者が出るかと懸念されたが、自衛隊は派遣されていた2年6か月の間にイラク国民を一人も死傷させず、一発の弾も撃たないで帰国できた(死者16人。障害が残る重傷を負った者もいる。)一方イラクに駐留している米軍には死亡者や負傷者が多数発生している。


関連文献


関岡英之 『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文藝春秋、2004年) ISBN 4166603760

孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館、2012年) ISBN 9784093798365

孫崎享「戦後史の正体」創元社 (「戦後再発見」双書、2012年) ISBN 9784422300511

孫崎享、木村朗編著『終わらない占領: 対米自立と日米安保見直しを提言する! 』(法律文化社、2013年)[171]

孫崎享、カレル・ヴァン・ウォルフレン『独立の思考』(角川学芸出版、2013年

孫崎享、植草一秀、鳩山由紀夫『鳩山由紀夫 孫崎享 植草一秀 「対米従属」という宿痾(しゅくあ)』(飛鳥新社、2013年)

孫崎享『日本を疑うニュースの論点』(角川学芸出版、2013年)

前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社、2013年)

植草一秀『日本の独立』 (飛鳥新社、2010年) 植草一秀『アベノリスク 日本を融解させる7つの大罪』(講談社、2013年) 鳩山由紀夫『対米従属を問う 北方領土・沖縄・マスメディア』(旬報社、2013年)

末浪靖司「対米従属の正体」(高文研、2012年、 ISBN 9784874984826)

チャルマーズ・ジョンソン『アメリカ帝国への報復』(集英社, 2000年)

チャルマーズ・ジョンソン『帝国アメリカと日本 武力依存の構図』(集英社、2004年)

フランク・ドリル『テロリストは誰?』(ハーモニクス出版、2004年)

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン上下―惨事便乗型資本主義の正体を暴く 』(岩波書店、2011年)


関連映像


ナオミ・クライン原作、マイケル・ウィンターボトム、マット・ホワイトクロス監督『DVD BOOK ショック・ドクトリン (旬報社DVD BOOK) [DVD-ROM]』(旬報社、2013年)


関連項目


帝国主義(en: Stealth Imperialism) アメリカ帝国 軍国主義 覇権主義

新植民地主義 占領 コンドル作戦 グラディオ作戦 親米保守- 似非右翼(媚米が含まれる) 冷戦 - 汚い戦争 アメリカ陸軍情報保全コマンド(座間基地所在の在日米軍諜報工作機関米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachment)[172]

中央情報局 アメリカ国防情報局 不平等条約(主権侵害) 日米関係 日米関係史 対米従属論 従属理論 アメリカ帝国 親米 反米 保護国 従属国 日米安全保障条約 砂川事件 検察ファシズム 日米地位協定 日米原子力協定 思いやり予算

在日米軍 自衛隊海外派遣 年次改革要望書 規制緩和 国策捜査 日米構造協議 在日米軍裁判権放棄密約事件 日米核持ち込み問題 日米社会20年遅延説 自由民主党 (日本)

外部リンク


吉田敏浩ルポルタージュ シリーズ「国家が情報隠蔽をするとき」 (http://www.asiapress.org/apn/archives/0001/1035/)(ASIAPRESS NETWORK) 「外交文書 対米関係の弱点が明確に」 (http://www.shinmai.co.jp/news/20110219/KT110218ETI090003000022.htm)(信濃毎日新聞社説 2011年2月19 日)


脚注


1. 前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』、創元社、PP .394-6。

2. a b チャルマーズ・ジョンソン『帝国アメリカと日本 武力依存の構図』、集英社を参照。

3. Naomi Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New York, 2007, P.71.

4. Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, P.194.

5.フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、PP .78-9。

6.フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、P .9。

7.フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、P .59。

8. 前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』、創元社、PP .48-49。

9. 前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』、創元社、P .20。

10. 前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』、創元社、P .17。

11. フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、P .60。

12. Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, pp.xi, pp.68, pp.71-72. See the whole chapter 3: Stealth Imperialism.

13. Naomi Klein title = The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, PICADOR, 2007.See the part 1 to 4.

14. Naomi Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New York, 2007, P.77.

15. Naomi Klein title = The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, PICADOR, 2007.P.174.

16. フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、PP.9, 14-15。

17. Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, p.96.

18. Naomi Klein title = The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, PICADOR, 2007.P.85.

19. “米国務長官がクーデター後のエジプトを初訪問” (http://www.afpbb.com/articles/-/3002616). AFP. (2013年11月4日) 2013年11月4日閲覧。

20. チャルマーズ・ジョンソン『帝国アメリカと日本武力依存の構図』所収『三つの冷戦』、集英社。

21. Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, pp.26 and 68.

22. Naomi Klein title = The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, PICADOR, 2007.See the part 1 to 4.

23. Website about the recommended film for this section (http://www.empowermentproject.org/pages/panama.html)

24. Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, p.xi.

25. Naomi Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New York, 2007, P.78.

26. Jon Lee Anderson title = The Dictator, New Yorker, October 19, 1998. Also see the Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, p.18.

27. Naomi Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New York, 2007, P.80.

28. Naomi Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New York, 2007, P.80.

29. フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、P .26。

30. フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、P .43-44。

31. しんぶん赤旗. 懲りない麻生副総理“ナチスに学べ”だけじゃない>ナチに学べ (http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-04/2013080415_03_0.html)”. 2013

年9月26日閲覧。

32. 朝日新聞デジタル. “中国、安倍首相「軍国主義者」発言に反発 人民日報論評>安倍晋三「軍国主義者」発言

(http://www.asahi.com/international/update/0928/TKY201309270569.htmll)”. 2013年9月29日閲覧。

33. 孫崎享『戦後史の正体 1945-2012』、創元社、PP .367-368。

34. 重光葵『続重光葵日記』、中央公論社

35. 孫崎享『戦後史の正体 1945-2012』、創元社、P .37。

36. チャールズ・ウィロビー『知られざる日本占領ウィロビー回顧録』、番町書房、1973年。

37. 孫崎享『戦後史の正体 1945-2012』、創元社、P .38。

38. Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, P.185.

39. Naomi Klein title = The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, PICADOR, 2007.P.8.

40. ガルシア・マルケス title =後藤政子訳『戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険』, 岩波新書, 日本, 1986, P.56.

41. ガルシア・マルケス title =後藤政子訳『戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険』, 岩波新書, 日本, 1986, P.56.

42. BBC NEWS | Americas | Pinochet's rule: Repression and economic success (http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/63821.stm)

43. Naomi Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New York, 2007, PP.4-5.

44. Naomi Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New York, 2007, P.167.

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46. Naomi Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New York, 2007, P.105.

47.ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン上下―惨事便乗型資本主義の正体を暴く』、岩波書店、2011年。

48.チャルマーズ・ジョンソン『帝国アメリカと日本武力依存の構図』所収『三つの冷戦』、集英社。

49. Naomi Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New York, 2007, P.17.

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51. Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, P.110.

52. Naomi Klein title =The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Picador, New York, 2007, P.97.

53. Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, P.65.

54. フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、PP .48-9。

55. Chalmers Johnson title = Blowback, Second Edition: The Costs and Consequences of American Empire, Owl Books, 2000, P.65.

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57. フランク・ドリル『テロリストは誰?』、ハーモニクス出版、2004年、P .54。

58. Do Khiem and Kim Sung-soo. “Crimes, Concealment and South Korea’s Truth and Reconciliation Commission” (http://www.japanfocus.org/-Do-Khiem/2848) (英語).

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61. ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン上下―惨事便乗型資本主義の正体を暴く』、岩波書店、2011年。

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66. アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争. “米国による日本メディア監視システムの実態 (http://blog.goo.ne.jp/nvno/e/639a9b5d5461a8a6482cfadc24b594db)”. 2013

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68. チャルマーズ・ジョンソン『帝国アメリカと日本 武力依存の構図』所収『三つの冷戦』、集英社、PP .73-74。

69. 重光葵『続重光葵日記』、中央公論社

70. 孫崎享『戦後史の正体 1945-2012』、創元社、PP .41-42。

71. 前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』、創元社、P .233。

72. 前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』、創元社、P .233。

73. News Week, October 14, 1996.

74. News Week, October 14, 1996.

75. 法学館憲法研究所. “レイプに反対なら、日米地位協定を変えるべきです>米兵犯罪被害者キャサリン・ジェーン・フィッシャーさん

(http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20121224.html)”. 2013年10月4日閲覧。

76. 法学館憲法研究所. “レイプに反対なら、日米地位協定を変えるべきです>米兵犯罪被害者キャサリン・ジェーン・フィッシャーさん

(http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20121224.html)”. 2013年10月4日閲覧。

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After the thorough analysis of the Hong Kong Protests 2019-, I got a conclusion below: It’s about social hegemony of colonial interests thus their FREEDOM FIGHTERS, HONG KONGERS are destroying mainland China related capital and facilities at the cost of the class interests of the working class and students. Maybe you wonder why they target Metro? Because Metro is a land owner, they want lands as many as possible after Metro gets forced to sell more lands cheaply. It actually happened on December 16, 2019. A bid for Saleable Area phase 12 at LOHAS PARK. Those protests are actual political and economic tactics to get rid of Mainland China’s legitimacy and competitiveness in Hong Kong.


 

香港需要改革开放,即在上层建筑与经济基础上进行去殖民地化的同时修正资本主义的弊端,尤其是解决跨行业集团的垄断资本主义。此次反修例暴徒的背后处处可见殖民时代的既得利益者们的身影,甚至暴徒的诉求并不是劳动者阶级的诉求,而是商界长期以来的诉求。根本是假草根!幕后黑手的目的即巩固既得利益,破坏中资,夺取全面管治权。为此地产霸权把外国势力引进来,继续发动职业颜色革命并毁灭竞争对手,以巩固垄断资本。港英殖民官僚为此阻碍止暴制乱和改革。



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