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Hong Kong Labor Issues #69 日本人のための香港労働問題研究: 2023年度香港労働法及び労働政策総論


Hong Kong Labor Issues #69 日本人のための香港労働問題研究: 2023年度香港労働法及び労働政策総論
FILE PHOTO: Group of technician or engineer worker stand with confident action or fold arms in cargo © Envato

🔻 IMPORTANT 【重要】香港労働法

 

▪️ 2023年度の香港労働法制の変化は、前年度に規定済みの以下の幾つかの変更点の発効が確認できる。A) 2023年最低賃金条例修正付表3告示による2023年5月1日からの最低時給賃金額40香港ドルへの変更;B)そして、この最低時給賃金額の調整に伴い、雇用条例にも変更が行われた。それは、雇用条例付表9に明記の雇用主が、賃金額と労働時間を記録し保存しなければならない労働者の基準となる月収額が16,300香港ドル以下にまで上限が1,000香港ドル引き上げられた。以上の二点である。

 

▪️ 2023年度香港特別行政区政府長官の施政報告には、労働政策が皆無である。

 

▪️ 広義の労働問題は範疇としては真新しいものは出現していないが、いわゆる高才通新資本投資者入境計画補充的海外労働者大量輸入不動産の反投機税の緩和などの多国籍企業資本、不動産資本と投機家重視の緩い人口政策及びそれらに傾斜した、水増しも疑われる致命的欠陥(高才通は、聞こえはいいが、よりハードルの高い厳格なワーキングビザと異なり、香港での雇用の有無を問わず、移民の時期をも指定せず、既に仲介業者が暗躍し、特定リサーチ会社の世界ランキングに意図的に参加している一部の世界の大学の学士課程を肩書き上修了していれば不動産購入が優遇されるものである。しかし、子の香港の居住権獲得目当てでの出産や香港を介した西側への移民目的や、大陸自体の大学院進学へのバネや、履歴書の見映えのための投機目的の中国大陸の者が食い物にしている。高才通唔逼搵工 移居生仔𡁻完鬆)は、香港自体の解消され得ない労働力不足と並行して未だ存在する、年初よりの本特別行政区の失業人口の特定規模での固定化と甚だしい対照をなしている。現時点での政府統計処のデータ上の実態としては、メディアの印象操作とは矛盾して、労働人口が全体として微減しつつ、失業人口は横ばいである。従って世論はそれらの成果には実感がなく、懐疑的である。また前年度末に論述した既存の諸範疇の労働問題の悪化が顕著である。一言で言えば、不動産投機家層の拡充の為の人口政策であり(これは、投資つまり、広くはアジア太平洋ハブを設立し、事業所を拡大する多国籍企業の駐在員も不動産投機に誘導する不動産独占資本の術策)、その支配階級の政治基盤の強化と、労働力不足による改革圧力を圧殺する為の中国大陸労働者の大量輸入である。此の最終的なアウトプットは、中国全土からの合法・違法のルートによる投機家群の暴利の海外への転移と天文学的に膨張させた債務の国内への転嫁である。これが、目前の不動産バブルの弾けた中国の面する泥沼の構造的な問題(社会を持続不能にし、瓦解する負のスパイラル)である。中国と国際社会の金融窓口、金融ルートである香港の表面的な繁栄像はこの投機過程の時限的な仮象に過ぎない。従って、我々の目にするあるいは既に目にした香港の政治問題は、不可避的にこの資本(不労所得;資本とはいかなる労働ではなく、あらゆる形での剰余価値搾取の不労所得である。資本家は正確には資本というモノの運動に還元される存在である)の経済的活動総体の直接・間接の物質的産物でもある。香港の不動産独占資本は、政治体制だけでなく、公共事業や民間他業種をも広範囲に独占している為にリスク、損失の転嫁がその独占体内の企業間で可能だが、中国大陸の不動産資本はそこまでの独占体を制度的に構成できていない点が相違するだけで、投機のモードと主体自体は同一であり、香港に由来する。さらに中国と日本の相違は、中国の工業生産が代表する実体経済は穏健強壮(従ってバブル崩壊の後退現象は実体経済自体の不況や衰退ではない)で、しかも中国の主要金融機関は国有化されていて外資の手中になく(日本銀行の実態は学校教育とは正反対に民間銀行であり、外資が支配している)、また自民党や民社党の様な外国勢力代理人による半世紀以上の経済不況(消費活動を課税で懲罰すると実体経済は当然衰退する)をもたらしている自虐的な消費税導入は未だ実現していない(中国や香港の所謂経済評論家と日本の相違は、前者が1991年以降から現在までの日本大不況における消費税(1989年施行)の弊害とそれとセットの輸出還付金制度、所得税・法人税減税=消費税増税のメカニズムを十分自覚していない点である)。しかし、支配階級である投機・買弁層の一翼である建制派(親中派という日本のマスコミの安易な表記は意図的な誤導であるし、建制派を標榜するものが真に親中とは限らない。建制とは体制、しかも植民地時代を含めた香港統治の体制全般、支配階級という抽象であり、そこには親中という意味はないし、今の建制派は植民地時代もその体制を支える建制派であった)、その保険業界代表の立法委員陳健波が日本型消費税導入を今年提唱したのを見ても、香港を日本化しようとして消費税導入を目論む外資の布石は既に打たれているのが分かる。消費税を9%へ増額するシンガポールも、シンガポールに学べと言う半ば盲導的なスローガンを介して事例に挙げられるのは日の目を見るごとくである。香港全社会の最大の問題である深層矛盾(deep-seated contradictions)とは、米中対立を主要とし、それと政治経済的に不可分の土地不動産問題が象徴する4高(左から右へ価格引き上げが連動する高地価、高住宅費、高租借費、高物価)の際限のない支出高騰、相互連動の投機メカニズム自体である。であるから、消費税は後者を激化させ、実体経済と市民生活をさらに破壊するのが自明の理である。しかも、これら全ては不動産独占体の手中において、フラットに一企業内の労資関係の枠を超えて、社会全体の労働者の実質賃金を自動的に減少させる便利なメカニズム・レバーでもある。日本は消費税、香港は4高(高地価、高住宅費、高租借費、高物価)が労働者全体の賃金を構造的に不安定化し減少させている。つまり、総じて社会問題とは根源的には資本の運動の産物であり、不可避的に労働者階級の生活に影響する広義の労働問題でもあり、広義の労働問題とは広義の社会問題でもある。言い換えると、社会問題とは労資関係を無視しては社会全体として正確に理解できないのである。以上が、貿易戦争からポストコロナ期に至るまでの中国・香港の支配階級の主要問題点の概要である。

 

そこで、今回は英国による植民地化から第二次世界大戦期まで(1841年から1945年)の香港の労働法と労働政策の歴史・脈絡を主要な労働法を現在との比較で再点検しながら以下総括したい。注意点は、以下固有名詞、条例名は日本語による翻訳の悪影響(日本国内の延長の観点という誤謬;日本語の観念は日本国内の環境と習俗に自動的に対応している)を避けるために原語の状態をできるだけ保持した。それらに基本的に日本語で読みの存在しない漢字はないし、旧字体は日本語でも同じである。


🔻 FACTs 【事実関係】

 

▪️ まず国際的に雇用法・労働法の機能とは、被雇用者である労働者の弱小、社会的劣勢の立場と雇用主である資本の側、有力で社会的に優勢な立場との平衡を目指し、基本的な保障を付与し、可能な限り搾取を免れさせるためのものである。そして建前上は、労働者に法定権益の基礎を付与する法律の事である。しかし、実際は体制内の所謂労働者代表自体も往々にして労働貴族であり、それ自体資本家である。従って、労働法は資本が同意した意思、内容の表明である。

 

▪️ 手続法、訴訟法としては、香港の労働分野では1971年制定の職工会条例(Trade Union Ordinance)、1975年制定の労資関係条例(Labor Relations Ordinance)、及び1972年制定の労資審裁処条例が該当する。

 

▪️ 実質的な法律とは、資本主義社会において労資双方の権利と義務、そして労働者が享受する若干の最低法定福利を規定するものである。例えば、雇用条例(Employment Ordinance)、雇員補償条例(Employees’ Compensation Ordinance)、破産欠薪補償条例(Protection of Wages on Insolvency Ordinance)と職業安全及び健康条例(Occupational Safety and Health Ordinance)である。此の様に香港の労働法を概括しても、通俗的に日系人材会社の類に安易に鼓吹されている雇用条例だけが香港の労働法規ではないという眼前の事実が明瞭である。

 

▪️ 狭義の労働紛争或いは労働問題は、香港でも権益に関わる紛争(disputes of rights)と利益に関わる紛争(disputes of interests)とに大別される。弁護士や法学者任せではなく、当の労働者自身これらを自覚し、判別できなくてはならない。前者は、法例、契約、慣例における労資双方の権益が個別のケースで適用されるか否かが引き起こす争議である;そして、後者は、労資双方間で賃上げ、減給などの相対的な利益に関して引き起こされる紛争である。しかし、その解決に通底しているのは全体としては未だ一定の準則が欠如し、最終的な解決案は労資双方の論拠と何よりもその都度の談合能力の階級的な力関係に委ねられており、市民社会に特徴的な偶然性、不確定性が支配しているのが実際である。また、此の様な理由により、法的な手順で法例を解釈し、関連する慣例や契約内容を演繹するといった事は権益に関わる紛争に適している。例えば、労資審裁処(Labor Tribunal)や小額薪酬索償仲裁処(Minor Employment Claims Adjudication Board)などの法定機構である。こうして、香港では利益衝突による紛争は、第三者には当事者の様には双方が行う譲歩には深い理解がなく、従って比較的に良い解決方法は双方が直接対話し、相互理解、譲歩により協議を成立させ、法廷は介入するべきではないという見解もある。これ自体は、ストライキの道を閉ざす見解にはなっていない。しかし、団体交渉権がなく、団体行動権はあれ、未だストライキに十全な雇用保障のない香港では労働者側に不利である。なぜなら、ストライキを近年行った香港の運輸業界の労働者達はメディアと政府介入前に、一時的に、一度その間に横暴な解雇に遭っているのが散見されたからである。

 

▪️ 労働者階級の武器とは、分散した原子的な個人の孤軍奮闘ではなく、団結であり、労働組合はその典型的な形態である。団結権、団体交渉権、団体行動権の労働三権は必須であり、階級闘争の社会的な必要条件である。従って、階級社会では資本階級にとって、この労働組合をどうするかというのが当然階級闘争を左右する政治問題でもある。言い換えると、資本にとって労働法の最重要ポイントは、実は何よりもこの労働三権の趨勢にある。これらなしには、労働側は手足をもがれた奴隷状態に等しく、まな板のコイであるからだ。所謂トレードユニオンとは、職業団体とも訳されるが、正確には、労働組合とは同義ではない。それは、雇用主連合の商工会議所、労働者階級の労働組合、そして雇用主と労働者が混在している職業団体の類を総称している。しかも、ユニオンもギルドも各自額面通り労働組合と職業別組合とは限らない。その構成員が実質的な雇用主でもある業界では規模やランクの異なる商工会議所に等しいものである。此の様に階級成分によっては、雇用主連合と差異のないものになる。ハリウッドがその典型である。さらに、労働組合全般の機能に関して言えば、3種類の方法によりその組合員と労働者階級のために権益を争い、彼らの労働環境と労働条件を改善しようとする。第一は、労働組合が自らその業界の規則や慣例を定める事である。例えば、被雇用者は労働組合の籍によりその職位を保持される事(closed shop)である;第二は、労働組合と雇用主が談合し、集団協約を達成し、当該業界の労資関係の掟を調節する事(industrial charter)である;第三は、労働組合が圧力団体として、政府に演説し、労働者に有利な労働雇用法を制定させ、また労働者に有利なように改正させるべく促す事である。これによって、労働大衆を保障し、彼らの福利を改善するのである。

 

▪️ 現代の労働法は、主として英国及び西欧その他の先進工業国家の産物である。香港の労働法制の歴史は古く、香港現地での立法のケースも1841年から1902年の期間に既に確認される。やはり、その最古のケースを見ても、労働者の団結権、団体行動権に関わる。英米法系と言われるコモン・ローの伝統と施行下にある香港では、そこから労働組合は、自由貿易を妨害する労働者の共謀組織とみなされ、労働組合を非合法組織に指定していた。当初は、香港では宗主国英国の労働法を援用していた。しかし、後に労働組合が勢力を増大させ、労働党を創立し、政治勢力を結集し、同時に、支配階級側でも多くのインテリが労働者の苦渋に次第に関心を持ち始めた。そこで、国会は19世紀後期からひと繋がりの工場法と賃金法を制定し始め、労働者の賃金、児童労働者、婦女労働者を保障し、工場の衛生及び安全基準を規定した。そして、労組を非合法化していた結社法を廃止した。これに代わる法律群は、労働組合法、工業紛争法及びその後の改正である。これらの法律は、労働組合の合法的地位を定め、労働組合が政府に登録するか否かの自由を付与し、労働組合へのコモン・ローの若干の拘束の免除を与え、自由貿易を妨害したかどで起訴されるのを回避できる様にした。その後、香港の労働法の集中的な立法は、1920年代前後に顕著である。1920年代の英国では、社会主義のフェビアン協会の初代パスフィールド男爵シドニー・ウェッブが植民地大臣に任命された。彼は、英国の属地において労働政策の雛形を推進した。

 

▪️ 1919年、香港の衛生管理委員会が公共衛生及び屋宇条例(1903年)の改正案を提出し、工場、車内の公共衛生基準を定めた。例えば、工房は過度に犇めきあっていてはならず、労働者は合理的な空間があるべきで、若干の制限を定めた。その後、1921年には政府は調査委員会を任命し、工場労働の青年及び児童労働者の状況を調査した。そして、その委員会の建議に従い政府は翌年、児童工業雇用条例を成立させた。それにより、児童労働の正式年齢は15歳或いはそれ以下と規定された。これらの児童労働者は危険な職務に就いてはならず、労働時間も一日9時間を超過してはならず、同時に連続5時間以上労働してはならず、夜間労働は禁止で、正確には夜7時から翌朝7時までが労働禁止である。当該条例は、また当時の華民政務司を青年及び児童の監護人とし、その後1927年の工場(意外)条例では工場督察及び助理督察の職位を定めた。1929年になると、婦女、青年及び児童工業雇用(修正)条例が成立した。これは、工場労働の婦女を青年及び児童労働者の保障範囲に含めたものである。1932年の工廠及び工場条例により、15歳未満の児童は工場内で労働できず、危険な職務も禁止である。しかし、婦女と青年労働者は労働監護人の批准で、これらの職務に従事できる。その後、1934年に総合性工廠及び工場条例により、労働監護人は市政局主席が担任することになった。そして、市政局は授権により工廠経管附例(by-laws)を制定できる様になった。児童労働年齢は14歳未満禁止になった。さらに、青年労働者の年齢は、14歳から18歳以下と規定された。後続の当該条例の附例では婦女と青年労働者への保障が強化された。

 

▪️ これ以外に、1932年には最低賃金条例(Minimum Wage Ordinance)が成立した。これは、香港総督会同行政局に賃金が過度に低いとみなされる業界で最低賃金を制定する権力を付与した。当該機制は、香港総督がその業界で最低賃金局(Minimum Wage Council)に委任し、調査を行なった上で、その業界に最低賃金を頒布できる。

 

▪️ 婦女及び公共衛生関連の法整備はこれらの時期にも継続された。1923年の婦女家庭傭工条例と1938年の修正条例は、12歳未満の女性児童労働者を家僕とし、妹仔と言われる中国伝統の女僕の習慣などを規定した。当時、香港政府は香港全土で妹仔は1930年5月末までに華民政務司署に登録するよう頒布した。その後、1938年の婦孺保障条例では華民政務司が全ての21歳未満の養女の監護人になった。それから、1935年の公共衛生条例では市政局に権力を付与し、工廠(こうしょう)内の衛生状況の監督を行わせ、これらの工廠に充足した光線と通風設備の必要性を規定し、毎年一回の消毒清掃を義務付けた。そして、危険且つ嫌悪される労務(obnoxious duty)も市政局の管轄に入った。

 

▪️ 労工処(香港には日本や台湾の文字通りの労基法はないし、逮捕権を有した労働警察たる労基署もない。従って雇用条例はその考案において、日本の労基法をも参照したもので、部分的には共通性があるが、厳格には労基法ではなく、各自労働紛争の処理においては労働者各人による民事訴訟に多く依存し、むしろ日本の労働契約法と同質である。また労工処は、それ自体としては労基署ではなく、日本のハローワークに等しいし、違法企業を起訴する政府独自の機能とは別途に、労働者の側の一般窓口としては個別労資紛争の最初の任意の調停機関であると言うのが実際である)の歴史は、1927年に遡る。当初は、華民政務司署内部に労工分処(labor sub-department)を設立したのが始まりである。同時に、労工顧問委員会をも成立させた。初期においては、香港総督が委任したイギリス資本の雇用主達が成員であり、その主要な職責は労働政策及び労働法例について政府に進言する事である。この諮問機関の背後にある理念は、英国の海外領土に対する労働政策である。しかし、当該労工顧問委員会が成立当初、十分に利用されなかった原因は、部分的にはそれは三方の代表性に欠如していた事である。なぜなら、その成員の大部分は、雇用主代表と官僚であり、労働者や労働組合が参与していなかったからである。その一方では、労資関係を規制する法としては、1902年成立の主僕条例(Masters and Servants)及び1932年の当該改正条例である。その規定によると、雇用契約は双方16歳以上でなくてならない。また、別途書面による声明なしには契約は月極の契約であるとみなされた。この契約は、毎月継続でき、もし解約する場合は1ヶ月事前の通知期間あるいは、賃金で通知に代替することができた。しかも、1ヶ月を超える労働契約は裁判司が照合した。またもし、雇用契約は水上生活者が締結した場合は、当該地区の警察督察に登記した。そのような契約は5年以上の契約であってはならないとされた。その後、1930年代に入っても主僕条例は厳格に施行されてはいなかった。例えば、多くの上海の技術労働者の雇用契約は大多数が主僕条例の関連規定に付合していなかった。

 

▪️ 最後に、トレードユニオン(商工会議所、労働組合、雇用主・被雇用者混在の職業団体)、有限会社、社団(society)、N G O(非政府組織)、N P O(非営利組織)、慈善団体などの差異は政治的にも極めて重要な問題である。これらは、世間ではまず総じて特定圧力団体、利益団体である。これらは、形式面では何よりも表面的な名称の字義ではなく、特定団体が政府のどの部門にどの条例下で登録しているかの差異である。

 

開港初期以来、香港は英国のコモン・ローを援用し、いかなる社団(例えば当時の定義下の労働組合)も自由貿易を妨害すれば、即違法という規定があった。その根拠は、1912年制定の防止杯葛条例(Prevention of Boycotts Ordinance)である。いかなる社団のボイコット行為ももし他者の自由貿易を妨げれば、即違法であった。ところが、当該条例は具文に属し、ずっと棚上げされ厳格に施行される事はなかった。例え1925年に省港大ストライキとボイコットが発生してもその条例は運用されなかった。1922年成立の緊急法とも呼ばれる緊急情況規例条例(Emergency Regulations Ordinance)は、ストライキ下で、いかなる形でも公共秩序を破壊し、他者にその破壊を教唆する行為を防止し、もしいかなる者でもその目的で労働者を扇動しストライキを起こせば違法となる。同時に、その防止目的で華民政務司に授権し、必要ならばニュース及び出版物の検閲を行える。

 

また、労働組合規制の法律は植民地時代の最初期に既に立法の事例が見られる。それは、1845年香港立法の社団及び三合会条例(Triad Societies Ordinance)である。三合会とは中国マフィア・ヤクザ暴力団である。後続の法例としては、1887年の三合会及び非法社団条例(Triad And Unlawful Societies Ordinance)と1911年頒布の社団条例がある。当時、多くのギルド(職業団体)と労働組合は社団条例に則って登記を免除されていた。それは結果として、二つの商工会議所、三十四個の雇用主ギルドと七個の技術労働者のギルドであった。全ての社団は、既に登記しているかに関わらず、一律華民政務司にその会の憲章を登記しなければならないとされた。その後、香港政府は1920年に社団条例を改正し、登記手続きを削除し、三合会などのマフィア組織を含めた非合法組織を列挙する形に改めた。1922年の海員大ストライキと1925年の省港大ストライキとボイコットの労働運動の潮流が発生すると、香港政府は1927年に非法罷工及び閉廠条例(Illegal Strikes and Lock-outs Ordinance)を制定した。その旨は、大型の労働運動の潮流を抑止し、労資紛争と無関係な或いは意図的に政府を強迫するロックアウト(事業場閉鎖)を違法行為に規定した。同時に、万が一公務員或いは主要な公共サービス業(例えば、飲料水と電力供給など)に従事する労働者は、契約違反してロックアウトを行いこれらのサービス業の正常な運営を妨害すれば違法と規定された。これ以外では、今の23条立法とも関連する内容だが、いかなる労働組合も海外組織の支配を受け、労働組合の経費も海外の政治用途への援用を禁止された。これと同時に、香港政府は社団条例と緊急条例に基づいて中華海員工会聯合会(香港海員工会の前身)と紡織工会と茶室工会など十五の工会を違法団体に指定した。その後、労工主任は1939年に著した計画報告書で、1920年の社団条例下において、労働組合は非合法組織には属さないが、地位は曖昧であるから報告は労働組合に政府に登記するか否かの判断を任せ、政府に登記した労働組合には若干の免責の権利を与え、これにより英国式の責任ある労働組合の発芽と発展を意図したとされている。また、1932年の最低賃金条例の機制も上記の事柄と関連している。当該機制は、主に五人からなる委員会を委任し、主席が一人、裁判官が一人を含む。当該委員会の職務は、その業界での賃金水準の調査であった。しかし、内容があまりに空虚なので1939年に廃除になった。これに代わったのが、1940年の行業委員会法(Trade Board Ordinance)である。当該法例は、英国の賃金委員会法(Wage Council Act)を参照して制定した。辺縁の職業の為に委員会を設立し、成員は当該業界の労資双方の代表であり、その他は比較的組織のある労働組合や雇用主の代表、そして主席は労工処の処長である。当該委員会はその前身よりも多くの権力を有し、当該業界の合理的な労働時間、賃金やその他の労働条件を規定することができた。しかし、この法例はずっと実施されずに終わった。政府の説明は、どこの労働組合も政府に関連した業界で行業委員会設置を要求しなかったというのが理由である。それでも、これと関連して英国政府は当時国際労働機関に香港は国際労働公約第26条を運用し、最低賃金の機制を既に有していると報告していた。以上が戦前までの香港労働法と労働政策の概括である。

 

留意点は、戦後の部分で説明する予定であるが、今日社団とトレードユニオンは区別されて管理されている。また、香港にはムッソリーニのファシズム的な労資委員会方式の労使協調主義の歴史的基調の中で、1940年の行業委員会に見られるように、一時的な歴史時期において標準時間労働制を施行できる体制が存在していた。しかも、そこにおいても労基法に見られるように標準労働時間制と最低賃金制度は不可分の相互補完関係にある。しかし、労資委員会方式の政治談合とは異なり、独立した労働組合という主体が行使する団体交渉権は昔も今も成立していない前近代的な労働法制が香港である。

 

さらには、N G O、N P Oと慈善団体という混同される三種のカテゴリーがある。N G Oは、非政府組織で、Non-Governmental Organizationというだけで、非営利団体をそのまま意味していない。香港の社団は、N G Oとほぼ同義だが、N G OがN P Oとは限らない。N P O(Non-Profit Organization)は、利潤を特定の社会目的とサービスに供する目的が謳われ、所有者や社員権保持者間での分配を行わないだけである。そして、N G Oとは政府から独立したものにより特定の社会目的の為に設立され、政府機関が参与していない法定組織であり、営利か非営利かの区別はない。これは、政治献金受領目的の主要な労働組織が社団に登記し、政治献金の受領できない労働組合や労働組合連合として登記していない背景事情である。しかも、政党法がないので、政党、結社はどれも社団登記していない有限会社か社団である。しかし、N G O の多くはN P Oからなる為にこれらの概念は混同されやすい。そして、慈善団体(Charity Organization)とはその目的が、貧困対策、教育促進、布教、その他の慈善活動に限定され、税務条例で課税免除の特恵を享受できる点がN G Oと異なる。

 

 

🔻 COMMENT 【評語】

 

2023年度の香港の労働法及び労働政策は前年度に規定済みの一握りの量的修正が発効した以外、何ら進展がなく労働者階級全体にとって依然厳しい状況が2024年度に継続することが容易に推測される。



 

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